江崎彦左衛門先祖 その3

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #3020

くずし字解読

仰渡候ニ付右権右衛門組へ被召抱度段和田主膳命じられたので、この権右衛門の組に召し抱えられたいとの事を、和田主膳(八百石 真源院様御代御侍免撫帳)
方を以図書方ニ被申入候処右彦左衛門儀御側によって、図書方として家来にするよう申し入れがあり、この彦左衛門はお側
足軽組奈と尓ハ差出申間敷者之儀ニは候得とも足軽組などには差し出すべきではないと言うことでしたが、
其節迄ハ御側足軽迄ハ歩御小姓並ニ御印をその時まで、お側の足軽になる迄は、小姓並として通告を
被為頂戴儀ニ御座候其上彦左衛門儀直々御奉頂くことになりました。その上で、彦左衛門は直節、ご奉
公奉願居候段図書方より主膳方へ被申越候ニ付被任公できるよう願い出ることを図書方から主膳方へ申し出る、ということで任せられ、
其意高見権右衛門組御側足軽ニ被召加候事その意味で、高見権右衛門組のお側足軽に召し加えられたと言うことです。
一 寛永廿年未二月廿一日阿部権兵衛弟以上四人一 1643年ひつじ年2月21日、阿部権兵衛弟達4人
御津ぶしニ成候を竹内数馬高見権右衛門組共ニを、誅伐にする時に、竹内数馬や高見権右衛門達の組に
被仰付候栖本又七郎も被罷越候左候而権兵衛隣入るよう命令され、栖本又七郎も参加して、権兵衛屋敷の隣

一口メモ

この頁では、江崎彦左衛門が、二代の足軽として初めて採用された経緯が書かれています。以後十代まで、その主従関係が継続された事が読み取れます。

主従関係が成立して6年目に誅伐事件が発生、二人揃って戦に加わった事になります。

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