先祖の覚 高見市平 その2
くずし字解読
御隠居被遊候以後 妙解院様御側ニ | ご隠居なされ、その後は妙解院様(細川忠利公)のお側に |
被召仕寛永三年四月御知行百石 | お仕えになり、寛永3年(1626年)4月に、知行を百石 |
御加増都合二百石被為拝領御側 | 加増され、合計2百石を拝領、御側 |
物頭被 仰附候同七年正月御知行百五 | 物頭を仰せ付けられました。寛永7年(1630年)正月に知行150 |
拾石御加増被 仰附同十一年十二月 | 石を加増を仰せ付けられ、寛永11年(1634年)12月には |
御知行百七拾壱石四斗御加増被為 | 知行171石4斗を、加増なされ、 |
拝領之候 | これを拝領されました。 |
一 肥前嶋原一揆蜂起の刻 | 一 肥前の国の嶋原一揆が蜂起した折、 |
妙解院様御供仕御在陣中相勤申候 | 妙解院様のお供をして陣中に身を置き勤めました。 |
一 寛永廿年二月阿部権兵衛兄弟共御討 | 一 寛永20年(1643年)2月に阿部権兵衛兄弟達を討ち |
果世被成候節被 仰附相勤申候 | 果しなされた時に、この仕事を仰せ付けられ,そのように勤めました。 |
一 真源院様御代寛永廿一年七月御知行 | 一 真源院様(細川光尚公)の代に寛永21年(1644年)7月に、知行 |
一口メモ
この頁は、忠興公が隠居をなされた後、当家ニ代の高見権右衛門重政は、忠利公にお仕えし、更に光尚公にお仕えしました。
この時代は、歴史上の出来事として、島原一揆と阿部誅伐事件が記述されています。これらの働きにより、ニ代重政は、着々と加増を重ねています。