稽古附 その1

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #3010

くずし字解読

  稽古附  高見嶋之助十代高見嶋之助の稽古に関する記録
文化九年九月文化9年9月(1812年9月)
御目見仕候嶋之助13歳の時に養子として9代細川斎樹公(諦観院様)に謁見
一 剱術文化九年十二月田中一 剱術については、文化9年12月に、田中
平右衛門門弟ニ罷成同十年平右衛門の門弟となり、文化10年(1813年)
正月ゟ入榭仕稽古仕候文化の正月から武道場に入り稽古をしました。(榭=うてな) 文化
十三年十一月平右衛門病死仕13年の11月(1816年11月)には、平右衛門(田中甚左衛門)が病死され、
同十四年三月嫡子田中甚兵衛文化14年3月(1817年3月)には、嫡子である田中甚兵衛
ニ家督相続被 仰付候直ニ門弟ニに家督の相続を仰せ付けられた。直ちに門弟に
罷成文政五年閏正月なり、文政5年(1822年)の閏年の正月に
目録相傳仕候同六年十二月門人に伝授した名目を書いて伝えました。同6年の12月(1823年12月)
甚兵衛病気ニ付願之通隠居甚兵衛が病気になったため、隠居を願い出て
被 仰付嫡子田中甚助へそれがかない嫡子である田中甚助へ
家督相続被 仰付直ニ家督の相続を仰せ付けられ、直ちに
門弟ニ罷成同十一年十二月その門弟になりました。文政11年(1828年)12月には
奥儀相相傳仕今以不絶稽古今まで習得した極意を伝えると共に、今でも稽古を続け
仕候ています。

一口メモ

十代高見権右衛門武棟は、武術の達人であったことが記録に残されています。明治3年の先祖附には次の様な記述があります。

「文政八年九月、剣術槍術心懸厚出精、何連茂、藝術相近候段、於講堂申渡」

上記の稽古附は一通の書状に記載されていますが、この画像は先頭部分で、「一 槍術・・・」以降は次頁に記載します。

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