稽古附 その2
くずし字解読
一 槍術 文化十一年五月磯野 | 一 槍術については、 文化11年(1814年)5月、磯野 |
又之充門弟ニ罷成同月ゟ | 又之充の門弟になり、同月から |
入榭仕稽古仕候文政二年 | 武道場に入り、稽古を始めました。文政2年(1819年) |
九月目録相傳仕同五年 | 9月には、門人に伝授した名目を書いて伝えました。文政5年(1822年) |
四月極意目録相傳仕 | 4月には、今まで習得した極意を伝えました。 |
同六年三月又之充病気ニ而 | 文政6年(1823年)3月、又之充が病気になったため |
願之通隠居被 仰付養子 | 隠居を願い出て受理され、養子である |
磯野傳助へ家督被 仰付 | 磯野傳助へ家督の相続を仰せ付けられ、 |
直ニ門弟ニ罷成稽古仕XX | 直ちに門弟に加わり、稽古XX(二字削除) |
XX其後中絶仕候 | XX(二字削除)しましたが、その後は途絶えてしまいました。 |
一 天保四年正月柳生但馬守様へ | 一 天保4年(1833年)正月には、柳生但馬守様へ |
御入門仕同十二月八日習事 | 入門させていただき、同年の12月8日に修行の手続きについての |
聞相傳仕候 | 説明を聞き、代々受け継いで伝えました。 |
一 文政七年八月剱術槍術 | 一 文政7年(1824年)8月には、剱術と槍術について |
心縣厚出精芸術も相進 | その心得が立派で、稽古への努力により、その芸の術も更に進んだ |
候段於講堂御賞御座候 | ので、武道場に於いて、恩賞を賜りました。 |
一 天保九年已來田中勘助儀之 <仕居申候> | 一 天保9年(1826年)から、田中勘助殿の所でお世話になりました。 |
右之通御座候以上 | 斯様な次第でございます。 以上 |
<射術> 一 天保八年正月茂見惣兵衛門弟ニ罷成 | 弓術 一 天保8年(1825年)正月に、茂見惣兵衛の門弟になりました。 |
同年三月入榭稽古仕同十二(月)七日ゟ | この年の3月には、武道場に入り稽古をしました。12月7日より |
一口メモ
上記画像は、前頁に続くものですが、最終行以降は資料が手元に無いため不明ですので、割愛させていただきます。
当家十代高見権右衛門武棟の剣術、槍術、弓術についての稽古の履歴書と言える資料です。当時は大きな戦も無く平和な時代でしたが、やはり「武士たる者は文武両道に励め」に従い行動したのでしょうが、武の方に相当偏ったものではないかと思われます。
十代の相続は42歳でしたが、13歳から39歳まで長期にわたり武術に励んだのは,相続が遅かったことによるものと考えられます。
尚、この文書の解読に当たりましては、Facebookのグループ「古文書が読みたい!」のメンバーの皆様のご協力を戴きました。ここに改めて御礼を申し上げます。