初代の伺書と忠興公の裁可
一口メモ
江戸時代の書状の形式は、直接出状する直状(じきじょう)と、部下に命じて出状する奉書(ほうしょ)と、部下が直接出状するのは畏れ多い場合はその上司宛に出状する伺書(うかがいしょ)の三種類に分けられます。
ここでは,初代権右衛門重治が今際のきわに間七大夫宛に伺書を出状し、忠興公からの裁可が行間に書き込まれた書状を紹介します。
この書状は、文中の中程に忠興公のローマ字印が押されてある貴重な書状です。
以下は、熊本大学永青文庫研究センター長である稲葉継陽教授により解読と解釈を頂いた文書です。
くずし字解読
初代の伺書と忠興公の裁可
(元和四年[1618])三月廿三日 高見権右衛門伺書 細川忠興裁可 ※「 」内は忠興裁可文言
覚
「無別也」
一、私事無調法者ニ而御座候処ニ、近年大事之御組預ケ被
下、外聞忝儀とも中ハ可申上様も無御座候、其上今度相煩
申節も、色々被 御心付、忝次第にて御座候、今一度煩取直シ
申候て御奉公仕度心中いたつらに罷成相果申儀ミやうりにもつき
申かと奉存候事、
「九ツニ成せかれニ遣也」
一、中わきさし壱ツ、見苦敷と申恐多奉存候へとも進上仕度候、
御見計候て不苦候者、御披露候て可被下候事、
「むす子両人、縁者ニ而候間、道家次右衛門うけ取、奉公ニ出迄肝ヲ煎へし、下野助兵衛屋敷両人之むす子ニ遣候条、是又可然様ニ道家可申付候、然者成人仕迄知行百石渡候間、道家賄済可申候也」
(忠興ローマ字朱印)
一、私せかれ共の儀、東西をも不弁何の御用ニも立申仕合にても
無御座候へとも、かつへ申さす候やうに預御取成ニ、以来御さうりをも
直シ申候やうに奉願存候、又、和田五兵衛儀無調法者にて御座
候へとも不相替御奉公申上候様ニ是又御取成可忝候事、
以上、
三月廿三((元和四年))日 高見権右衛門 (花押)
間七太夫殿
(現代語訳)
一、わたくしは不調法者であるにもかかわらず、最近は大切な御組(家臣の集団)をお預け下さいまして、大変ありがたく、御礼の申し上げようもございません。その上、この度病気をしました節も、いろいろと御心付けくださいまして、ありがたいことでございます。今一度、病気を克服しご奉公したい心中ですが、それも叶わず相果てることになりますが、身に余る御恩恵に十分ありがたきことと幸せに存じます。
忠興「特に申すことはない(おまえの気持ちはよく分っている)」。
一、中脇差一ツ、粗末なものと恐れ多きことでございますが、殿様に進上したく存じます。お付の方々がご覧になって宜しければ、殿様にご披露ください。
忠興「その脇差は、(私にではなく)九歳になるおまえの息子に遣わしなさい」。
一、わたくしのせがれどものことですが、西も東もわきまえず何のお役にも立ちませんが、飢えることのないように、御取り成しくださって、将来は草履取りのように身近に召し使っていただきますようお願い申し上げます。また、親戚の和田五兵衛のことですが、不調法者ですが、今までと変わりなくご奉公させていただきますように、これまた御取り成しいただければ、ありがたき幸せに存じます。
忠興「二人の息子については、高見の縁者である道家次右衛門が預り、一人前の奉公ができるようになるまで面倒をみるように。下野助兵衛の屋敷を二人の息子に与えるので、この件も道家に適切に指示しよう。成人するまで知行百石を与える。これなら道家による賄い(衣食の養い)にも不足はないないだろう」。
(忠興ローマ字朱印)
以上、
三月二十三日 高見権右衛門 (花押) 間七太夫殿