三斎樣よりの御書 2

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #3007

くずし字解読

三斎樣ゟ之 御書 三通さんさいさま、よりの、おんしょ、さんつうこれは包み紙です。三斎樣からの書状3通。
尚々不及申なおなお、もうすにおよばずことさら申すまでも無く
今度香春ニて申付候このたび、かわらにて、もうしつけそうろう今回、福岡県の北東部の香春で申し付けた
普請之絵図仕候而可ふしんの、えず、つかまつりそうろう、しかるべく普請の絵図どおりの工事を実施した上で
帰候以上かえりそうろう、いじょうかえりなさい、いじょう
其地普請一両日中ニそのち、ふしん、いちりょうじつちゅうにその地の香春での普請が一両日中に
出来候由候、済切次第できそうろう、よしそうろう、きりすみしだい仕上がると言うことなので、切削が済み次第
其地之普請之者不そのちの、ふしんのものそちらの工事に関わる人達は
残召連、岩石之越のこらず、めしつれ、がんせき、これを全て、連れ帰って、岩石加工の
普請之者無不足ふしんのもの、ふそくなき作業を行う人夫が不足しないよう
様ニ蔵人ニ(可ミ)渡ように、くろうどに、わたすべく(?)管理人へ引き渡すように。
其方者此地へ可帰候そのほうは、このちへ、かえるべくそうろうあなたは、当地にかえるべきである
謹言きんげん謹んで申し上げる
八月三日 忠(花押)はちがつみっか、ただ8月3日忠興
高見権右衛門殿たかみごんうえもんどの初代の高見高見権右衛門重治宛

一口メモ

この書状に登場する「香春(かわら)」は、福岡県田川郡に属する香春町(かわらまち)で、古くから交通の要衝で、太宰府と奈良を結ぶ太宰府官道などがあり、江戸時代には宿場として栄え、田川の政治・経済・文化の中心でありました。また、小倉城主の細川忠興公による領国経営がなされた重要な土地でもあります。

ここには香春岳城や鬼ヶ城があり、石垣や土塁が史跡として残されていますが、この鬼ヶ城は「関ケ原の戦い」の功により豊前に入封した細川忠興の末弟である細川中務少輔孝之によって築かれたです。

この書状の内容から、恐らく鬼ヶ城に関連しているものと思われます。また香春町は石灰石の有名な産地ですので、この関連かも知れません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です