寒山詩偈賛讃歌 56

武田黙雷師書 信
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #4003

266

明月清風是我家
明月清風是れ我が家。
にごる世も月と水とを友としてすぐる家居はちりもなきかな

けがれた世の中でも、月と水、すなわち自然に絶えず接して過せば、自分の家はちり一つない清らかな住まいとなるだろう。

267

賈客却歸門内去明珠元在我心頭
賈(こ=商人)客(こかく)却つて門内に歸り去れば、明珠(貴重な人物)は元我が心頭に在り。
しらずして何海山をたづねらむたからはおのが心なるもの

貴重な財産は、自分自身の心の中にあるのに、それを知らずに何故あちこち多くの地を訪ね歩き、宝を求めようというのであろうか。

268

圓滿光華不磨瑩挂在青天是我心
圓滿なる光華(くわうげ=美しい光)磨瑩(まえい)せず、挂り(=掛け)て青天に在れども是れ我が心。
夜をてらす月の光もたづぬれはおのがこヽろのうちに澄みけり

夜を明るく照らす月の光源はどこだろうかと探し求めたら、自分の心の中に、はっきり見えていた。

269

不勞尋討問西東
勞せず尋討して西東を問ふことを。
常にすむこヽろの月のゆく末をよそにたづねて何もとむらむ

いつも澄んだ状態で心の中に宿る月なのに、その行き着くところはどこだろうかと探し回って、何を求めようというのであろうか。

270

埋在五陰溺身躯
埋んで五陰(ごおん)に在つて身躯に溺る。

注) 「」の正字は、旁が「區」

月と日のひかりもおのがこヽろよりくまなくてらすものとしらずや

月や太陽の光も本を正せば、自分の心の中で隅々まで行き届いて照らしているものだと、知らないのであろうか。

一口メモ

上記の掛軸は竹田默雷禅師の書ですが、文字と内容は次のとおりです。

「信」 這是 高見祖厚翁 末後一言 因息 安次氏 嘱書  東山左邊 叟黙雷

中国語のようですが、意味は次の様です。

「信」 これは高見祖厚翁の臨終の時の一言で、息子の安次氏によって書にする事を依頼された。 東山左辺翁黙雷。

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