寒山詩偈讃歌 55

祖厚禅師妻 道子肖像 
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5005-2

261

無因畫得志公師
志公師を畫き得るに因(よ)し無し。
うつしゑも可否やなからむ身にもてるおのが心の玉をもたずば

自分の心の中にある美しさがなければ、写生画の良し悪しの判断もできないであろう。

262

心地調和倚石頭
心地調和して石頭に倚(=寄)る。
こヽろだにとヽのほりなば人とはぬ深山の奥もみやこならまし

せめて心だけでも調和がとれていれば、人が訪ねることのないような、深山の奥もそこが都と思えるであろう。

263

一住寒山萬事休更無雑念挂心頭
一たび寒山に住して萬事休す。更に雑念の心頭に挂(かかる)無し。
山ふかく入りにし日よりわがこヽろたゞ雲水にまかせてぞすむ

奥山に入り、隠遁生活を送り始めたその日から、自分の心は行く雲や流れる水に身をゆだねて住んでいるよ。

264

不識心中無價寶猶似盲驢信脚行
心中無價の寶を識らざれば、猶ほ盲驢の脚に信(まか)せて行くがごとし。
あたひなき玉のあるじと身をしらで生死のうみにしづむはかなさ

自分がこの上なく貴い宝の持ち主であることを自覚しないで、様々の欲に溺れる人生を送るとは、何と空しいことか(武田智孝氏訳)。

265

布裘擁質隨縁過豈羨人間巧樣模
布裘質に擁して縁に隨つて過ぐ。豈に(あに=どうして)人間の巧樣模を羨まんや。
人の身はしばしの夢ぞ何事もえにしひとつにすくべかりける

人生なんぞうたかたの夢のようなもので、何事も縁を頼って助けを求めるべきだった。

一口メモ

上記掛軸の肖像は、祖厚禅師の妻(田中典儀の娘)で、明治45年11月10日に島原にて亡くなっています。

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