寒山詩偈讃歌 50

短冊 その12
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #4006

236

出家弊己身誑俗將為道
出家して己が身を弊(やぶ)り、俗を誑(いつは)つて將(も)つて道と為す。
世の人をさとす身にしてよの人にさとされて過すすみぞめの袖

世の中の人に、道理を教え導く立場にありながら、逆に世の中の人から教えられて過ごす僧侶はいるものだ。

237

獨坐無人知孤月照寒泉
獨坐人の知無く、孤月寒泉を照す。
すみわたるみ空の月を水の上にうつしてむかふ影のきよけさ

澄み渡った大空に浮かぶ月が、水面に映しだされて見える姿は、何と清らかなことか。

238

有箇王秀才笑我詩多失
箇の王秀才有り、我が詩の失多きを笑ふ。
言の葉はよしつたなくも歌ひいづる心のしらべとヽのほりなば

言葉そのものが、たとえ拙くても、歌いだす心の調子が整っていれば、それでよい。

239

我住在村郷無爺亦無嬢
我住して村郷に在り、爺(ちヽ)無く亦た嬢(はヽ)も無し。
身にまとふ妻子もなくていかばかり涼しく世をば君過しけむ

身近に妻子もいない状態で、あなたはどれだけさっぱりして、さわやかに暮らしてゆけるというのだ。

240

順情生喜悅逆意多瞋恨
情に順へば喜悅を生じ、意に逆へば瞋(=いきどおる)恨多し。
夢のうちのゆめともしらでいける身のうきうれしさにまよふもろ人

人生は夢の中でまた夢を見ているようなもの、それを知らないで些細なことに一喜一憂して生き惑う、それが衆生の姿だ(武田智孝氏訳)。

一口メモ

上記短冊の俳句は件の Facebook「古文書が読みたい!」のメンバーにより、解読頂きました。

 

詞書  御先代の御筆乎多天末津るとて  御先代の御筆をたてまつるとて  廣川

い尓しへ乎志のふ阿末李に末徒鶴乃千代も能こ禮登多て末都る奈里
いにしへをしのぶあまりにまつ鶴の千代ものこれとたてまつるなり

詞書  驛路  東風

くるま能ミ者せち可ひつゝ宇万也路乃者多古のうま能か介多るも見須
くるまのみはせちがひつゝうまや路のはたごのうまのかけたるも見ず

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