寒山詩偈讃歌 38

176

霜凋萎疏葉波衝枯朽根
霜は萎疏の葉を凋(しぼ)ましめ、波は枯朽の根を衝(つく)。
ゆきしもにしぼめる木柴ともすればよる浪ごとにねさへくちぬる

雪や霜でしぼんでしまった小さな雑木は、ともすると繰り返し寒さに襲われれば根っこさえも朽ち果ててしまう。

177

去骨鮮魚膾兼皮熟肉臉
骨を去る鮮魚の膾(なます)、皮を兼ぬ熟肉の臉(けん=まぶた)。
魚にあき肉をくらひておのが身をこヽろよしといふ人のおろかさ

魚を食するに飽きて、肉を食べる自分自身を快いとする人間の何と愚かなことよ。

178

讀書豈免死讀書豈免貧
書を讀むも豈に(あに=どうして)死を免れんや、書を讀むに豈に貧を免れんや。
いたづらに文よむわざはならえどもおのがあるじをしる人ぞなき

いくら、がむしゃらに書物を読んで理屈を理解しても良いが、ほんとうの主人は仏様であり、これを知っている人はいない(武田智孝氏訳)。

179

日日被刀傷天生還自有
日日刀傷を被れども、天生還つて自ら有り。
よし人のあざむくまヽにすておかばつひにはおのが罪をしらまし

たとえ、耳に心地よいお世辞や褒め言葉で、良い気分になったとしても、最後には自らの至らぬところの多い本性に気付いてしまう羽目になる(武田智孝氏訳)。

180

人身亦如此閻浮是寄居
人身も亦た此くの如し。閻浮は是寄居なり。
身をよするしばしのかりのやどりぞとおもへば草のいほぞたのしき

身を寄せる、しばらくの間の仮の宿と思えば、草の庵もまた楽しいものだ。

一口メモ

上記画像は、大徳寺483世の廣州宗澤禅師による筆ですが、内容は中国四明象山の人で、虚堂智寓(きどうちぐう)1185年~1269年、禅師が径山に帰って入寂した折に、歌った詩「萋々春草之三行」について性翁和尚が、この意味を実証し廣州宗澤禅師も賛同し、「頭上安全頭」(頭の上に更に頭を重ねる。つまり、無駄無益のこと)だと喝破したということが書かれているようです。

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