寒山詩偈讃歌 35

廣川和歌・林泉漢詩 丙辰元旦(1916年)祖厚禅師筆 73歳
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #5021

161

捺頭遣小心鞭背令緘口
頭を捺(なで)て小心ならしめよ。背に鞭(むちうち)て口を緘(つぐ)ましめよ。
品たかくこヽろ正しくをえしなばおとめも人にいとはれはせじ

品高く、心正しく、しつけを終えれば、若い女子(おなご)というのも、まんざら捨てたものでない(武田智孝氏訳)。

162

秉志不可卷須知我匪席
志を秉(と)つて卷く可からず。須らく我の席に匪(非)ざるを知るべし。
道をしたふおもいはいかでかはるべき席にあらぬこヽろなりせば

一所にじっと留まれない逸(はや)る心に駆り立てられているので、道を求める気持ちが変わることはないのだ(武田智孝氏訳)。

163

無風蘿自動不霧竹長昏
風無くして蘿(つた)自(おのずか)ら動き、霧あらずして竹長く昏し。
小篠生ふるみやまの奥は霧ならでつねにをぐらきみどりをぞみる

小さな笹が生えている深山のその奥は,霧ではなく常に薄暗い新芽の色を見るようだ。

164

焉知松樹下抱膝冷飃飃
焉ぞ知らん松樹の下、膝を抱いて冷飃飃(しうしう)たらんとは。

注)「」の正字は票が叟に置き換わる。

苔ふかきみ谷のまつの下かげにあそぶ人こそいとゆかしけれ

苔が一面に生えている、奥深い谷の松の下で遊ぶような人こそ、大いに気品や情趣を備えた人といえる。

165

人有精靈物無字復無文
人に精靈の物有り、字無く復(ま)た文無し。
文もなく字もなき人の御霊こそいき死もせぬ實とぞしれ

書物もなく字も読めない人の神霊こそ、生死を超越した実態であると知りなさい。

一口メモ

祖厚禅師は、大正4年6月の72歳の時にに大徳寺の高桐院から,長崎島原の魁村に転居、移住しました。その年に一度危篤状態になり、周りが死亡したものと思い込み、葬式の最初の行事である末期の水を唇に湿したところ、フーと息を吹き返したというエピソードがあったようです。まさに古くから末期の水は死の最後の確認と言うことでした。

上記の画像は、大正5年の元旦に蘇生できた喜びを和歌と漢詩にしたためたもののようです。件のFacebook「古文書が読みたい!」のメンバーの方々のご尽力により、次の様に解読頂きました。

右 和歌の部

於もひ幾や末多不る郷尓可獘季來天多知可獘留年廼本義乎せ舞登盤
おもひきやまたふるさとにかへりきてたちかへるねのほんぎをせむとは

また故郷に戻ってきて、家族が見たように自分が蘇ったこの年に最も大切な意義、つまり命がなくならなかったとは誰が想像したであろうか。

左 漢詩の部

今日還迎両度新。再生何識祝佳晨。帰来喜見児極楽。一笑悠々夢裏人。
今日を還た迎へて両度新なり。再生 何ぞ識らん佳晨を祝ふを。帰来 喜び見る 児孫の楽しみて。一笑す悠々たる夢裏の人を。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です