寒山詩偈讃歌 34

中嶌先生筆 桃園記
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #4054

156

不解返思量與畜何曾異
返つて思量することを解せず。畜と何ぞ曾つて異らんや。
露しものきえてあとなき身のほどをおもひしらずば人といはめや

露や霜のように融けて消え去って行くような、自分の境遇を知らなければ、人間と言えるだろうか。

157

日月如逝川光陰石中火
日月は逝川の如く、光陰は石中の火。
ゆく水と過ぐる月日ともろともにのこらぬ身ぞとしらぬおろかさ

流れ去って行く水や、過ぎ去ってゆく月日と同じように、自分も亡くなってしまうという事実を知らないとは何と愚かなことか。

158

我見世間人茫茫走路塵
我世間の人を見るに、茫茫として路塵に走る。
世にすめる人はしらじな白雪のいで入るやまのふかきこヽろを

俗世間に暮らす人々には、白い雪積もったり消えたりするような高いの、深い心があることを知らないでしょう(武田智孝氏添削)。

159

不達無為功損多益少矣
無為の功に達せずんば、損多くして益少し。
なす事もなくてなしつるいさをこそまことの道をふむ人ぞこれ

変な山っ気や色気や野心もなしに立派なことをやってのける人は、真の道を進んできた人と言える(武田智孝氏訳)。

160

甕裡長無飯甑中婁生塵
甕裡(をうり)長く飯無く、甑(そう)中婁塵(ろうじん)を生ず。

注) 「」の正字はこれに、かばね垂れが加わる。

心だにつねにうゑずば甕(か)の中につもれるちりもさもあらばあれ

心だけでも常に餓えていなければ、食器の中に積もった塵など、どうであろうと構わない。

一口メモ

上記画像は、中嶌広足先生(祖厚禅師の師匠)の巻軸装「桃園記」という書ですが、難解で件の「古文書が読みたい!」のメンバーの方の助けを得て、上段部の解読を戴きました。変体かな文字がふんだんに使われていますので注目して下さい。

桃園記   源弘足(中島広足)

上段

毛々曽廼磐高見氏乃園能号奈里、さるは謹國能奈爾可之可者らか羅能、む都飛世し乎思者禮多る爾はあら須、園能う知爾
もゝそのは高見氏の園の号なり、さるは謹国のなにか之かはらからの、むつびせしを思はれたるにはあらず、園のうちに
於のつ可ら、桃乃樹能生多てれ磐奈李希理、曽母/\桃てふ樹盤大御國爾天盤、神の御代爾伊邪那岐神能古禮可実越奈介て、<豫母都志・許賣乃>ま可事
おのづから、桃の樹の生たてればなりけり、そもそも桃てふ樹は大御国にては神の御代に伊邪那岐神のこれが実をなげて、<予母都志・許売の>まか事
乎能可連給ひしよ利、意富加牟豆美命と多ゝへ給へる、いみし起功あ類毛の奈里希理、かく置うら記樹乎庭爾お不し天女傳羅流ゝ盤、いとも/\お武可し久
をのかれ給ひしより、意富加牟豆美命とたゝへ給へる、いみじき功あるものなりけり、かく□うらき樹を庭におほしてめてらるゝは、いとも/\おむかしく
萬能禍事越佛飛左計天、毛ち能世爾志美由可無園、千萬乃世爾左可由可武也加爾こそは
万の禍事を払ひさけて、もちの世にしみゆかむ園、千万の世にさかゆかむやかにこそは

下段

かミ奈月者可り高見奴な連所にあそひて候 かしく 田翁宇須■二施ゆ二ハい者むそめつくす木ゝのもみちのおのかいろ〜〜に
かミな月はかり高見のなれ所にあそびて候 かしく 田翁うす□二せゆ二ハいはむそめつくす木ゝのもみちのおのかいろ〜〜に
折からはうすく染たるちゝの木のちゝにやをくたきてそ見る
折からはうすく染たるちゝの木のちゝにやをくたきてそ見る
庭になすにちのむら山万世に見ともにかせやしにちのむら山
庭になすにちのむら山万世に見ともにかせやしにちのむら山
あくた火をふすふる畑の上にまたにてかは阿そのけふりなりけり
あくた火をふすふる畑の上にまたにてかは阿そのけふりなりけり
けふのミのなかめにいかゝやにはとの友よふ声もあはれなるやしおもひきやあそのけふりをさらによる世に立ましる事とせしむとき
けふのミのなかめにいかゝやにはとの友よふ声もあはれなるやしおもひきやあそのけふりをさらによる世に立ましる事とせしむとき

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