寒山詩偈讃歌 24

竹添光鴻(1842~1917)の筆による寒山詩の一部
熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #4002

106

嚢裡無青蜻篋中有黄絹
嚢裡に青蜻(せいふ=かげろう)無く、篋(けふ)中に黄絹(くわうけん)有り。
夢のうちにわがおもふ人のきたるこそ誠のかよふしるしとぞしれ

自分の好きな人が、夢の中に現れるということは、正に誠意が相手に伝わっている証拠だと思いなさい。

107

送向荒山頭一生願虚擲
荒山頭に送向せられて、一生願虚しく擲(なげう)つ。
人もまた老いず死なずの世にしあらば苦しき身ともしらで過ぎまし

人間も仏様のように、老いないし、死なない世の中であったならば、自分が苦しい立場にあっても、それに気付かずに過ごしたであろう。

108

不用從黄口何須厭白頭
黄口(=小児)に從ふことを用いず。何ぞ白頭を厭(いと)ふことを須(もち)ひん。
小すゞめの食をあされる聲きけばあはれとおもふ人もある世を

小雀が餌を探している声を聴いて、かわいそうだなと思う人がいるこの世は救われる。

109

貧賤骨肉離非關少兄弟
貧賤なれば骨肉も離る。兄弟少きに關せず。
あはれ世はたかねの花の色をのみしたふ習となるぞかなしき

ああ何と、この世の中では憧れの存在である、あの花の華やかさだけを、恋い慕う習慣になってしまっている、ということは悲しいことだ。

110

養得八九兒總是隨宜手
八九兒を養ひ得たり、總て是れ宜しきに隨(従)ふ手だて、
よき事をはかりてなせる手だてこそ苦しきを得るはじめなりけり

善行を善意からではなく、計算ずくで実行しようとする行為そのものが、紛争を起こす元凶になるだけだ(武田智孝氏添削)。

一口メモ

上記掛軸の筆者である竹添光鴻は、祖厚禅師の一歳年上の漢学者です。

本名は竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日〈天保13年3月15日〉- 1917年〈大正6年〉3月31日)は、日本の外交官、漢学者。名は漸、字は光鴻(こうこう、みつあき)、号は井井(せいせい)と称した。甲申政変時の朝鮮弁理公使であり、後に漢学者として活躍した。日本学士院賞受賞。熊本県近代文化功労者。

漢詩、読み下しはつぎの通りに思われます。

我見出家人我出家の人を見るに、
不入出家學出家の學に不入らず。
欲知真出家真の出家を知らんと欲せば、
心浄無繩索心浄(きよ)うして繩索(じょうさく)無し。
澄々絶玄妙澄々として玄妙を絶し、
如如無倚如如にして倚托(いたく)
三界任縱橫三界縱橫に任(まか)せ、
四生不可泊四生泊(とどま)る可からず。
無為無事人無為無事の人、
逍遙實快樂逍遙(しょうよう=そぞろ歩き、散歩)として實(まこと)に快樂なり。

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