三代 高見権之助
妻 義落院 寛文十弐年四月十六日没 高麗門妙立寺葬
何方ヨリ御出与申儀不相知
御養子御實子不相知
三代 高見権之助
初高見権右衛門存生之内御児小姓被 召出在江戸仕相勤明暦
ニ年十一月権右衛門跡目之御知行被為拝領
寛文元年八月御使番 被 仰付江戸度々相勤 延寶元年八月八代御番頭被 仰付
御加増百七拾八石六斗被為拝領都合千石ニ被成下八代江十七年
相勤元禄ニ年病気ニ付御役義御改願之通被遊 御免
直ニ隠居宝暦三年七月十日病死
法名 円常院 高麗門妙立寺葬
妻 義落院 寛文12年(1672)4月16日没 高麗門妙立寺に葬る
どちらからおいでになったかわからない
養子か実子かはわからない
三代 高見権之助
はじめは権右衛門が生存中に児小姓に召し出され、江戸で勤めて明歴2年(1656)11月に権右衛門跡目の知行を拝領した。
寛文元年(1661)8月使番を仰せつけられ江戸で度々勤める延寶元年(1673)8月八代で番頭を仰せつけられ、
加増178石6斗を拝領し、都合1000石となり、八代では17年勤め、元禄2年病気になったので、役儀を断りしたが願いの通り御免となり、直ちに隠居した。寶暦3年(宝永3年の誤り=1706)7月10日病死した。
法名は円常院 高麗門妙立寺葬
一口メモ
変体漢文の訓読は、映画などでおなじみの寺子屋で「し、のたまわく」と発声したものと思えばよいが、これがなかなか難解で、身についていない。
冒頭の「何方ヨリ御出与申儀不相知」は、(どちら より おいで と もうす ぎ あい しらず)と読むようだが、この訓読を解説した「日本史を学ぶための古文書・古記録訓読法」という良い本をみつけた。文法を解説しながら漢字の説明がなされているので重宝だ。
また、上記の変体漢文には、漢数字の表示や旧漢字、「不相知」「被 召出」「被為拝領」「被 仰付」「被成下」「被遊 御免」など随所にみられる定型の表示方法など解読する上では基本となることばが含まれているので熟読されたい。