二代弟 高見少五郎重治
同姓の高見次左衛門家に養子に入る。妻は道家帯刀の娘(初代の没後7歳の時、細川忠興公の計らいで9歳の兄権右衛門らと共に道家家で養育を受ける)
同姓高見次左衛門家ニ 妻 道家帯刀娘也
高見少五郎重治
慶長十七年豊前國於小倉誕生 寛永三年四月七日
忠利公被 召出御知行百石被下置歳十五歳同九年之冬御國替之節
御供仕候同十四五年有馬御陣之御供仕候歳二十六七同年八月
朔日御褒美等被下置黄金壱枚御紋付之御品五ツ其後御鉄炮之
添頭又二十挺頭被 仰付御加増五十石被下置都合二百石ニ被
仰付 延宝五年六月十一日病死 法名心ニ無 延壽寺葬
女子 道家治右衛門 妻
女子 宇野弥右衛門 妻
女子 上田此等也 妻
高見少吾五郎重治(分家初代)
慶長17年(1612)豊前の国小倉にて誕生 寛永3年(1626)4月7日
忠利公に召し出され知行100石を下し置かれる。年は15歳であった。同9年(1632)の冬国替えの節
お供仕り候同14・5年(1637~38)(島原の)有馬にある御陣のお供を仕り候。年26・7才。同年8月
1日ご褒美等として貴金1枚と御紋付の品5種類を下し置かれた。その後鉄砲の
添頭、また20挺頭を仰せつけられ、加増50石を下し置かれ、都合200石に
仰せつけられる。 延宝5年(1677)6月11日病死。(享年73歳)法名は不明 延壽寺に葬る。
女子(妹)道家治右衛門 妻
女子(妹)宇野弥右衛門 妻
女子 (妹)上田此等也 妻
くずし字解読
左の最初の文字は、「貴」とか「貢」のような感じだが、実際は意外にも「黄」である。文字の形そのもので連想するよりも、単純に下の「金」に結びつく文字を探したほうが近道だ。くずし字の確認はどうしても辞書が必要だが、形から推理するには、「くずし字解読辞典」が便利だが、最終的にはその文字の意味の解説や文例で確認するための「くずし字用例辞典」が大変重宝だ。編者はいずれも児玉幸多しである。黄金1枚とは大判1枚の意味で、贈答用に使われていた。
「枚」はすぐ読めるのでその上の文字は数字を表していると推測できる。実際は「壱」であるが、数字などはあらかじめ勉強して覚えてしまうのが手っ取り早い。