道家家
道家家初代の道家帯刀一成は、豊臣秀吉の家臣で近世大名となった脇坂氏一族の出身である。帯刀は、慶長7年(1602)、小倉藩主時代の細川忠興公に仕え、子息の道家左近右衛門尉も細川家初代熊本藩主・忠利公から小姓頭や組頭に任用されるなどあつい信任を得る。 道家帯刀一成は、初めは次右衛門と名乗った。 帯刀一成の嫡男である左近右衛門・立成は原城にて武功をあげ、褒美を戴いた。 二代高見権右衛門重政の弟である高見少五郎重治の妻は道家帯刀の娘であり、更に少五郎重治の妹は道家次右衛門の妻となっている。 ここに道家家と高見家の強い姻戚関係の絆が生まれた。 寛永14年(1637)の肥前一揆の蜂起の折には、両者共に忠利公のお供をし参戦していることになる。 |