四代 高見三右衛門重故

熊本大学付属図書館所蔵 高見家文書 #1001

    妻 自得院 清水縫殿より 享保七年三月九日病死 

       高麗門妙立寺葬

御養子御實子不相知

 四代 高見三右衛門重故                          

元禄ニ年七月家督大組附同四年御弓二拾挺頭

同六年九月御番頭被 仰付

同八年江戸御留守詰其外御使者等相勤

同十四年御役儀 被 召上大組附

宝永三年十二月八代御番頭其後病気ニ而御役義御改願之通被遊 御免隠居

享保八年八月二十四日病死

法名 圓光院 高麗門妙立寺葬  

高見九右衛門 別家江被 召出 跡断絶

妻は 自得院清水縫殿家より嫁入り 

享保7年(1722年)3月9日病死 高麗門妙立寺葬        

養子か実子かはわからない

四代 高見三右衛門重故

元禄2年(1689年)7月家督は大組附。同4年(1691年)御弓20挺頭となる。

同6年(1693年)9月御番頭に仰せつけられる。

  同8年(1695年)江戸御留守詰め、その外御使者等を勤める。同14年(1701年)御役儀を召し上げられ、大組附となる。

宝永3年(1706年)12月八代の御番頭、その後病気になったため御役儀の改めを願い、それが叶い御免、隠居となる。          

知行宛行状(正徳6年2月18日 宣紀公花押)

享保8年(1723年)8月24日病死。

高見九右衛門(四代弟) 別家へ召し出され、その後は断絶

一口メモ

前項で触れた旧漢字について、本頁ではその例があまり見られないが、旧漢字の存在は一応考慮する必要がある。

くずし字辞典等でその漢字を調べれば、通常は新・旧共に併記されているので、次第に慣れてくるが、その存在を頭の片隅に入れておくと重宝する。「舊漢字ー書いて、覚えて、楽しめて」という新書本ががあるが、ここでは1,400以上の旧漢字が収められており、主要な旧漢字については筆順まで解説されているので親しみやすい。一応目を通しておくことをお勧めする。ちなみに「舊」は「旧」の旧漢字であり、知っているのと知らないのとでは大違いだが、読めればそれで充分だ。

一口メモ

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