寒山詩偈讃歌 21

高桐院内細川家の墓所門前で弟子の水野梅暁と記念撮影

091

不識個中意逐境亂紛紛
識らず個中の意、境を逐(とげ)うて亂れて紛紛たり。
何にかくよそにもとめてまよふらむこヽろに玉のひかりある身を

自分の心の中に、美しく優れたものがあるというのに、どうしてこのように、外に答えを探し回って迷うのであろうか。

092

更觀塵世外夢境復何為
更に觀よ塵世の外、夢境(=夢路)復た何すれぞ。
山だかみ雲も煙もひとつにてきゆればかげものこらざりけり

山の高みのような高邁な精神を得るに至れば、心を曇らせるものはみな消え去って、晴朗な悟りの境地に入れる(武田智孝氏訳)。

093

行愛觀牛犢坐不離左右
行きては牛犢(ぎゅうとく=子牛)を愛し觀、坐しては左右を離れず。
起ふしもおなじ佛のみめぐみをはなれぬ身とはしるやしらずや

寝ても覚めても、同じ仏様から、たくさんの恵みを、苦労もなく手にいれ続けている自分に、気が付かないのであろうか。

094

秦衛兩不成失時成齟齬
秦衛兩(ふたつ)ながら成らず、時を失うて齟齬(そご=食い違い)を成す。
すぐなみちすてヽ横道ふむひとはゆきてまよわぬためしやはある

正道を歩むのを止めて、邪道に走る人は、迷ってしまわないという先例があるのだろうか。いやきっと迷うに違いない。

095

自怜生處樂不奪鳳凰池
自ら生處の樂を怜(あわれ)んで、鳳凰の池を奪はず。
おのが身のほどをしりなばうき事もしらで此世はやすく過ぐべし

自分の分際をわきまえていれば、辛いことも知らずに、この世を安穏に過ごすことができよう。

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