寒山詩偈讃歌 15

祖厚禅師 別れの和歌の石碑(高桐院内)

061

快哉混沌身  不飲復不尿
快なる哉混沌の身、飲せず復た尿せず。
生れ出ぬ前の心をおもひとらばくるしき世をもやすく過ぐべし

無我の境地に至れば、苦労の多い世の中も安らかに過ごすことができる(武田智孝氏訳)。 

062

應當有別離復是遭喪禍
應當(まさに)別離有べし。復た是れ喪禍に遭わん。
雨風のさはりをいとふこヽろには月の光もいかでみるべき

月の光も風雨災害も同じ自然の姿である。自然災害を忌み嫌い文句ばかり言うような人は月の光を愛でる資格があるだろうか(武田智孝氏訳)。

063

背後瞳魚肉人前念佛陀
背後には魚肉を瞳ひ、人前には佛陀を念ず。

注) 「」の正字は口扁に童。

かひなしや人をおそるヽいつはりにつひにほとけの光だに見ず

世間を気にして偽りの自分ばかりを見せ続け、結局仏の光にも触れることなく終わるとは、なんと嘆かわしいことか(武田智孝氏訳)。

064

險戯難可測實語却成虚
險戯(けんぎ)測る可きこと難し。實語却って虚と成る。

注) 「」の正字は口扁に戯。

たへめやはこゞしき道をまことぞとおもひまがへる塵の世の人

邪道を正道と思い違えて塵にまみれて生きている人は果たしてそれで最後まで持つでしょうか(武田智孝氏訳)。

注)「たへめやは」=耐えられるであろうか? 「こゞしき道」=岩がごつごつして険しい道。

065

一身無所解百事被佗嫌
一身解する所無く、百事佗に嫌はる。
よしあしの道にまよひて世の人にうとまれはつる身ぞあはれなる

善悪の道に迷って、世の中の人々から、 嫌われ遠ざけられる人間ほど、気の毒なことはない。

一口メモ

上記の画像は、祖厚禅師が20年の長きにわたり隠遁生活を送った後、高桐院を去るに当たり、和歌を掛軸にしたためましたが、後になって庭園の一角にこの石碑を建立され、その歌が刻字されました。

その歌は、次の通りです。

 白雲の 立ち別れても 思いやる 心は通ふ 庵の松風

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