寒山詩偈讃歌 11

高桐院 墓所へのアプローチ

041

昨來訪親友太半入黄泉
昨(きのふ)來つて親友を訪へば、太半黄泉に入る。
きのふ見し人さへ今日はなき世ぞとさとらばたれか あだに過さむ

たったきのう見た人でさえ今日は死んでしまう世の中であると気がつけば、誰が人生を無駄に過ごととが出来ようか。

042

游戲不覺暮屡見狂風起
游戲(ゆげ)して暮るヽを覚えず。屡狂風の起るを見る。

注) 」(る=しばしば)は旧字で書かれているが、変換できず。正字は「窶(やつし)」のウ冠の代わりに屍冠

のる舟のあやうさしらでたのしげにあそぶぞ心のはてぞはかなき

自分が乗っている舟が危険であることも知らずに、楽しげに遊んでいる姿は、最後にはむなしく消え去っていってしまうものだ。

043

吾心似秋月碧潭清皎潔
吾が心秋月に似たり。碧潭(へきたん=深く青々とした淵)清うして皎潔(こうけつ=白く清らか)たり。
澄みにごる水の心にまかせつヽ曇らぬ月のかげのたふとさ

水が澄んでいようと濁っていようと、そこに写る月影は常に変わらず清かである(武田智孝氏訳)。

044

玉帶暫時華金釵非久飾
玉帶は暫時の華、金釵(きんさ)は久しき飾に非ず。
玉の帯金のかざりも見る夢のさめぬその間のすさびなりけり

美しい帯や金の飾りなどは、夢を見ている間だけの慰みごとに過ぎない。

045

春秋未三十才藝百般能
春秋は未だ三十ならずして、才藝は百般の能なり。
無き後の名をもおもはで生くる身をほころがほにも過ぐるおろかさ

死んだ後の名声も考えずに生きることは、そのときの誇らしい顔にも負けず劣らず愚かなことだ。

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