光尚君御家譜抜書 44
四五月之内奈るへ支可御國御着ハ六月十三日也天佑和尚ニ
頼ミ阿部一家ゟ権兵衛御赦免之事等歎支その事
可申上奈らハ六月末七月迄も御國ニ被滞候と見之申候
畢竟妙解寺新ニ御建立ニ付而諸事御差図奈とも
御頼被成レ旁を以被相滞候可左候而上京以後権兵衛被誅候与
有事何月幾日奈るニや何レニ十九年の事ニ而弟共御恨ミ尓
奉存奈から押移候処三回御忌之御法會ニも阿部家ハ御咎メ
くずし字解読
四五月之内奈るへ支候御國御着ハ(しごがつのうち、なるべきそうろう、おんくに、おんちゃくは)。(光尚君が熊本に戻る)4,5月前であった。熊本に戻られるのは。
御赦免之事尓等歎支その事(ごしゃめん、のことなど、なげきそのこと)。(権兵衛の)罪を許してもらうことなどを歎き、そのこと(を言わせてもらうならば)。
御國ニ被滞候と見え申候(おんくにに、とどこおられそうろうと、みえもうし、そうろう)。熊本に滞在されると予測ができた。
畢竟妙解寺新ニ御建立ニ付而(ひっきょう、みょうげじ、あらたに、ごこんりゅう、について)。最後に妙解寺を新たに建立することについて。
上京以後権兵衛被誅候と(じょうきょう、いご、ごんべえ、ちゅうされ、そうろうと)。(天佑和尚が)京都へ戻られた後に、権兵衛が誅伐されたと。
何レニ十九年の事ニ而弟共御恨ミ尓(いずれに、じゅうきゅうねん、のことにて、おとうとども、おうらみに)。いずれにしても、それは寛永19年のことであって、弟たちが恨んで。
奉存奈可ら押移候処(ぞんじたてまつり、ながら、おしうつりそうろうところ)。(弟たちが恨んでいる)のを知っていながら、むりやり移り(三回忌の法会の時にも阿部家は、咎められているので、焼香を仰せつけられなかった)。