寒山詩偈讃歌 1

紹介文

高見祖厚、天保十四年六月、肥後熊本、細川藩士の家に生まる。

幼名を直熊と言い、家督を相続して累代の名 権右衛門を称す。

明治の世、廃藩置懸の後は名を「まもる」(古の下に心)と改め、後に剃髪して祖厚と称す。

祖厚の「寒山詩偈讃歌」を「釋教歌詠全集」に収むるに当り、筑前福岡の杉山茂丸氏序文を草して寄す。

祖厚禅師寒山詩偈讃歌

 高見祖厚禅師の寒山詩の句題和歌にして、詩意を優雅なる短歌に詠じ、却って新鮮味を具するもの多し。明治四十三年秋出版す。

禅師は肥後の人、廣川と号し、歌は中島廣足に学ぶ。

山岡鉄舟と親交あり。近衛霞山公(篤麿)佐々克堂(友房)、の如きも禅師の教を受けたり。

京都大徳寺の高桐院に庵を結びて余生を送りたり。

この歌集は、私の祖母が明治43年に「其日庵腐軒」で出版された誌をコピーして上記の画像のように製本して与えられ、それを電子化したものです。明治43年といえば、祖厚禅師の初孫(小生の父)が誕生した年で、何か因縁を感じます。

この中の寒山子詩の部分は、校正不良などで誤字が多いため、岩波文庫が1985年11月に第9刷を発行した太田悌蔵氏訳註の「寒山詩」を参照して一部変更しています。中には旧字等が変換出来ないためにに「■」等で漢字の代用をしているケースがありますが、ご容赦下さい。

収録されている和歌は全部で285句に及びますので、1頁につき5句をベースに紹介させて頂きたく思います。漢詩や和歌の知識が乏しいので、あちこち誤解が出てくるやも知れません。お気づきの場合は是非ともコメント頂ければありがたく思います。

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