光尚君御家譜抜書 36
情深尓事を甚感し奈支跡の事迄も懇に頼置候登也
扨二月廿一日屋敷責と聞帝隣家之面々ハ於の連/\可
屋敷を堅メ与火災を慎ム遍支との被 被 仰出な連ども又七郎ハ
安閑とし帝居堂らんハ勇者之本意ニ阿らし後の御咎メもし
阿らハ安連年来手練之鑓術此時也ト於もひ希連ハ
廿日の夜密ニ堺の垣之結ひ目を切置討手の押入る
音トを伺ひ居本文のことく働支候と也又七郎手疵も快く
成り候上正保元年六月御前ニ被召出阿部御誅伐之時
相働キ手柄を致し手疵も快ク一段之儀被 思召上候未タ
病も残候者湯治奈とい多し可然由 御意ニ而御鉄炮拾挺御預ヶ
ニ成候段御直ニ被 仰渡猶又御意ニ府中ニ罷在候而ハ気分
扨二月廿一日屋敷責と聞帝隣家之面々ハ於の連/\可
屋敷を堅メ与火災を慎ム遍支との被 被 仰出な連ども又七郎ハ
安閑とし帝居堂らんハ勇者之本意ニ阿らし後の御咎メもし
阿らハ安連年来手練之鑓術此時也ト於もひ希連ハ
廿日の夜密ニ堺の垣之結ひ目を切置討手の押入る
音トを伺ひ居本文のことく働支候と也又七郎手疵も快く
成り候上正保元年六月御前ニ被召出阿部御誅伐之時
相働キ手柄を致し手疵も快ク一段之儀被 思召上候未タ
病も残候者湯治奈とい多し可然由 御意ニ而御鉄炮拾挺御預ヶ
ニ成候段御直ニ被 仰渡猶又御意ニ府中ニ罷在候而ハ気分
くずし字解読
奈支跡の事迄も懇に頼置候登也(なきあとのことまでも、ねんごろに、たのみおきそうろう、と、なり)。死んでから後の事についても心を込めて頼んだとのことである。
扨二月廿一日屋敷責と聞帝(さて、にがつにじゅういちにち、やしきぜめと、ききて)。一方、2月21日に屋敷を攻撃すると聞いて。
屋敷を堅メ与火災を慎ム遍支との(やしきを、かためよ、かさいを、つつしむべき、との)。屋敷を防護せよ、火災を起こさぬよう十分気をつけよとの(命令があったけれど)。
安閑とし帝居堂らんハ(あんかんとして、いたらんは)。のんびりして居座っているのでは(勇者の本意では無いと)。
年来手練之鑓術此時也ト(ねんらい、てならいの、やりじゅつ、このときなりと)。これまで鍛錬してきた槍の腕前を発揮するのはこの時だと。
廿日の夜密ニ堺の垣之結ひ目を切置(はつかのよる、ひそかに、さかいの、かきの、ゆいめを、きりおき)。20日の夜、密かに隣家との境界の垣根の結び目を切っておき。
音トを伺ひ居本文のことく働支候と也(おとをうかがひい、ほんぶんのごとく、はたらきそうろうとなり)。(隣家の)物音をうかがい居て、これまで本文で示した通り、働いたとのことだった。
御前ニ被召出阿部御誅伐之時(おんまえに、めしだされ、あべ、おんちゅうばつのとき)。殿様の御前に召し出され、阿部兄弟の誅伐の時は。
手疵も快ク一段之儀被 思召(てきずも、こころよく、いちだんのぎ、おぼしめされ)。手負いの傷も快癒し、一層の模範と判断されて。
病も残候者湯治奈とい多し可然由(やまいも、のこり、そうろうは、とうじなどいたしが、しかるよし)。戦いの後の痛手も残っているので、湯治などするのが良かろうと。
「病も」は、後から書き足した文字で、丸印の所に挿入すべきと記載されています。
ニ成候段御直ニ被 仰渡猶又御意ニ(に、なりそうろうだん、おんただちに、おおせわたされ、なほまた、ぎょいに)。(鉄砲十挺頭の役職が約束された)ところ、直ちに言い渡すよう言いつけられ、更に加えて思し召されることは(城下にあっては気分が晴れやかでないので、城外の好きな場所に保養のための別荘を与えよう)。