光尚君御家譜抜書 29

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #3008

幼少ニ而病死断絶壽次郎大夫八兵衛も後年御知行差上

七郎左衛門ハ代々相続の所ニ正徳年中  宣紀公御代

両竹内御暇何茂家断絶残念之事也右之数馬

拝領之脇差も本家竹内吉兵衛方へ相続ス又摂州尼崎ニ而

嶋村弾正討手之時形見ニ故郷え送り堂る三原正盛之刀

貳尺四寸五歩是も本家竹内ニ相続ス竹内吉兵衛御暇

被下候後ニ八隅見山ト改メ剃髪兼光之脇指ハ左る

くずし字解読

幼少ニ而病死断絶壽(ようしょうにて、びょうし、だんぜつす)。幼くして病死し、家は断絶した。

七郎左衛門(七郎右衛門の誤りか?)ハ代々相続の所ニ(しちろうざえもんは、だいだい、そうぞくの、そに)。七郎左衛門は、代々の家督相続をするときに。

何茂家断絶残念之事也(いづれも、いえ、だんぜつ、ざんねんの、ことなり)。いづれも家系が断絶してしまったが、残念な事である。

本家竹内吉兵衛方へ相続ス(ほんけ、たけうち、きちべえ、かたへそうぞくし)。(拝領之脇差も)本家である竹内吉兵衛の家に相続された。
















形見ニ故郷え送り堂る(かたみに、こきょうえ、おくりたる)。形見として故郷へ送った(三原正盛の刀)。

貳尺四寸五歩是も本家竹内ニ相続ス(にしゃくよんすんごぶ、これもほんけ、たけうちに、そうぞくす)。2尺4寸5歩(の刀)も本家の竹内家に相続された。

兼光之脇指ハ左る(かねみつの、わきざしは、さる)。兼光の銘の脇差しはある(お方の)。

一口メモ

二行目の七郎左衛門は、正しくは竹内吉兵衛の四男の七郎右衛門ですが、くずし字を見る限りでは「左」のようです。左右の判断については、参考書等では筆順が上から始まる場合は「右」,横から始まる場合は「左」と説明されてありますが、このケースではこれは当てはまらないようです。昔の人は「右」や「左」の筆順はあまり意識しておらず,この判断は当てにならないとのご指摘を戴きました。その先生の判断方法は、次のとおりです。「右衛門」の場合は、口の横棒が強調され、「左衛門」の場合は、エの縦棒が強調される傾向が強いのでこれを基準とされているとのことでした。

貴重な情報、ありがとうございました。

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