光尚君御家譜抜書 1
一 二月二十一日阿部弥五兵衛、同市太夫、同五太夫、同七之丞等兄弟四
人を誅世ら連候、竹内数馬、高見権右衛門等討手二被 仰付
数馬ハ討死を遂ケ権右衛門、栖本又七郎等手柄い多し候、その
根元ハ阿部弥五兵衛等、が父阿部弥一右衛門
妙解院様御逝去之時殉死<忠利君ノ譜、寛永十八年之処二詳二出>其遺跡千百石
<一ニ千石>嫡子権兵衛其外相残ル弟共ニ、夫々割ヶ被下候、権兵衛者
始メ権十郎ト申、弥五兵衛、市太夫、五太夫、何レ茂於原城働有り新知
くずし字解読
阿部弥五兵衛、同市太夫、同五太夫、同七之丞等兄弟 (あべやごへい、どう、いちだゆ、どう、ごだゆう、どう、しちのじょう、とう、きょうだい)。阿部一族事件の主人公である阿部弥一衛門と嫡男の権兵衛の弟達です。
誅世良連候(ちゅう、せられそうろう)=罪をとがめられて殺された。世(せ)良(ら)連(れ)は頻繁に出てくるかな文字なのでしっかり覚えておきましょう。
手柄い多し候曽の(てがら、いたしそうろう、その)。多(=た)曽(=そ)も同様です。
<忠利君ノ譜寛永十八年之処二詳二出>(ただとしぎみの、ふ、かんえいじゅうはちねんの、ところにしょうに、で)。これは直前の「殉死」についての注釈部分です。
其外相残ル弟共ニ(そのほか、あい、のこる、おとうとどもに)。注)最後の真ん中の点はゴミです。
続いて、各々割け下され候。権兵衛は初め権十郎と申し、弥五兵衛、市太夫、五太夫いずれも原城に於いて働きあり、新知百石宛拝領、市太夫はそれ以前より光尚君へ召し使われ候、とあります。