御書出 二代 高見権右衛門重政

知行宛行状

熊本大学付属図書館所蔵 高見家文書 #20201

豊前國下毛郡於井原村之内

百石遣之訖永可知行者也充状如件

元和四年六月 日(花押)

高見猪之介殿

豊前の国下毛郡に於いて、井原の内

百石之を遣わしおわんぬ、永く

知行すべき者なり、よって状くだんの如し

元和四年六月 日(花押)

高見猪之介殿

上記知行宛行状は初代が病死で、二代が相続した折の忠興公によって発給された知行宛行状だが、初代が今際の際に間七大夫経由で忠興公に9歳の猪介を筆頭に5人の兄弟の面倒を見て欲しいと願い出たところ、忠興公は道家家に養育を任せ、2名の男子に対してはそれぞれ100石を与えようと約束してくれた。

知行方物成人畜目録

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #20202

上記知行宛行状の物成人畜目録(元和6年) 忠利公朱印

この目録は、忠興公から忠利公に代替わりした折に発給された目録である。

知行宛行状

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #20203

豊前國宇佐郡平原村之

内弐百石目録在別紙之事

宛行之訖全可領知之状如件

寛永三年四月晦日 忠利(花押)

高見猪助殿

豊前の国宇佐郡平原村の

内弐百石<目録別紙にあり>のこと

これを宛てがいおわんぬ

全く領知すべきの状くだんの如し

寛永三年四月晦日 忠利(花押)

高見猪助殿

この知行宛行状は、忠利公のお側に仕えて8年後の17歳の時に、側物頭となった折に100石の加増を受けた時のものです。

知行宛行状

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #20204

豊前國中津郡之内於山鹿村

百五拾石目録在別紙事為加増

宛行之訖全可領知之状如件

寛永七年正月二十日忠利(花押)

高見猪之助殿

豊前の国中津郡のうち山鹿村に於いて

百五拾石<目録別紙にあり>のこと加増のため

これを宛てがいおわんぬ

全く領知すべきの状くだんの如し

寛永七年正月二十日忠利(花押)

高見猪之助殿

この知行宛行状は、寛永7年(当時21歳)に150石の加増を賜った時のものです。

知行宛行状

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #20205

肥後國於玉名郡之内

参百五拾石目録在別紙事宛行之

訖全可領知之状如件

寛永拾年九月朔日忠利(花押)

高見権右衛門殿

肥後の国玉名郡に於いてこの内

参百五拾石<目録別紙にあり>のこと

これを宛がいおわんぬ

全く領知すべきの状くだんの如し

寛永拾年九月朔日忠利(花押)

高見権右衛門殿

この知行宛行状は、細川藩が小倉から熊本に転封になった翌年に、改めて350石の知行宛行状が発給されたものです。宛名も高見権右衛門と変わっています(二代21歳)

知行宛行状

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #20206

肥後國飽田郡之内於

庄村百七拾壱石四斗餘目録在別紙事

為加増宛行之訖全可領知之状如件

寛永拾壱年十二月十三日 忠利(花押)

高見権右衛門殿

肥後の国飽田郡のうちに於いて

庄村百七拾壱石四斗余り<目録別紙にあり>のこと加増のためこれを宛てがいおわんぬ

全く領知すべきの状くだんの如し

寛永拾壱年十二月十三日 忠利(花押)

高見権右衛門殿

上記知行宛行状は二代25歳の時に171石4斗余りを加増されました。

知行宛行状

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #20207

肥後國於玉名飽田両郡

之内五百弐拾壱石四斗餘目録在別紙

事任先規之旨所宛行也全可領知之状如件

寛永拾八年八月朔日 光貞(花押)

高見権右衛門殿

肥後の国玉名飽田両郡に於いて

このうち五百弐拾壱石四斗余り<目録別紙にあり>のこと先規の旨に任せ宛がうところなり。

全く領知すべきの状くだんの如し

寛永拾八年八月朔日 光貞(花押)

高見権右衛門殿

この知行宛行状は、光貞公(光尚公)が熊本藩二代藩主に就任した折に、改めて発給されたものです。

知行宛行状

熊本大学附属図書館所蔵 高見文書 #20208

肥後國山鹿郡之内小原村

上平山村飽田村山本郡之内

鞍掛村於四ケ所都合参百石目録在別紙

享為加増宛行之訖全可領知之状如件

寛永二十一年七月二十日 光貞(花押)

高見権右衛門殿

肥後の国山鹿郡のうち小原村

上平山村飽田村山本郡のうち

鞍掛村に於いて四ケ所都合参百石<目録別紙にあり>

加増をうけるためこれを宛がいおわんぬ

全く領知すべきの状くだんの如し

寛永二十一年七月二十日 光貞(花押)

高見権右衛門殿

この知行宛行状は、寛永20年に阿部一族の騒動が起こり、一族の討手を命じられ、裏門の指揮役を首尾よく勤めたために賜った300石のご加増です(都合821石4斗)。

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