御書出 初代 高見権右衛門重治
「御書出(おかきだし」とは熊本藩が発給した知行に関する文書類を指します。
当家に残されていた御書出は、知行宛行状、知行方目録、知行方物成人畜目録、加増知取附目録、減封取付目録、知行引渡差紙等ですが、代別に順次紹介させていただきます。
知行宛行状
豊前國於宇佐郡内五百石
遣之訖目録在別紙永可知行
者也仍状如件
慶長拾六年九月 日 (花押)
高見権右衛門殿
豊前の国宇佐郡に於いて、内五百石
之を遣わしおわんぬ目録別紙にあり永く
知行すべき者なり、よって状くだんの如し
慶長拾六年九月 日 (花押)
高見権右衛門殿
知行方目録
一口メモ
文禄年中に初代が羽柴大納言秀長公に仕えていた時、宮津で忠興公の所望によって、初代は二百石で忠興公に仕えることになった。忠興公の当時の嫡男忠隆公の付け人となり、岐阜城の戦い・関ケ原の合戦に参戦したが、忠隆公が廃嫡となり高野山に流浪した折もお供をした。その後結城秀康公に仕えることとなったが、秀康公のご逝去によって浪人の身となったが、慶長16年忠興公によって帰参が叶い知行五百石を賜った。上記の御所出はその時のものである。知行宛行状には忠興公の花押が、知行方目録には、忠興公の朱印が押されてある。尚、初めて二百石を賜った時の知行宛行状は、確認できていない。