九代 高見権右衛門武久 (32)
春留たろふ介連止夫ハお連毛承知してお流勝手ニ出る可
与以
右之趣白金江被移入候節 蓮性院様奥ニ而被遊 御沙汰候
天保十年四月 若殿様 御目見被遊 御願号ニ付右御用諸事
承り候様被 仰付旨被 仰出候 天保十年十月六日
若殿様御元服御用諸事承候様被 仰付旨被 仰出候
天保十年十二月朔日 表葵御紋附縮緬御小袖一 蓮性院様於
御前被下置候 天保十年十二月二十一日 表桜御紋附縮緬綿入御羽織
一 表桜御紋附薄継御上下 一具 上田嶋御単 一従
太守様ニ而御次被下置候 右同日 琥珀白嶋御袴一具
御紙入れ一 御盃 一 若殿様於御前被下置候
天保十一年二月四日 高見権右衛門妻
右者家内熟知ニ有之夫江事方直数年之留守中
世話筋茂行届召仕之者江茂慈愛を加候様子委達
(心配をかける)だろうけれど、それは俺も承知している。
右の趣きは、白金へ移り住む折に蓮性院様の奥座敷でご沙汰があった。
天保10年4月 若殿様のお目見を遊ばされ、御願号(若殿様自らの願い事)なので、右の諸々のご用は承るよう命じられた。
天保10年10月6日 若殿様の元服に関するご用の諸事は承知するよう命じられた。
天保10年12月1日 表葵の紋附縮緬小袖を一つ、蓮性院様の御前で戴いた。
天保10年12月21日 表桜の紋附縮緬綿入羽織を一つ、表桜の紋附薄継上下を一式、上田嶋の単(ひとえ)一つを太守様の次の間にて戴いた。
右と同じ日に、琥珀色の白嶋(白縞模様の)袴一式、紙入れ一つ、盃一つを若殿様の御前で戴いた。
天保11年(1840)2月4日 高見権右衛門の妻
右は家内のことはは熟知しており、夫に対してはとりわけ尊び、数年の留守中での世話に関しても行き届き、召し仕えの者達に対しても慈愛をもって接する様子は、委達(こと細かに行き届き)
くずし字解読
左の画像は前ページの最終3行と本ページの最初の2行だが、本ページの部分を分解すると、
「春留たろふ介連止」(するだろうけれど)
「夫ハお連毛承知してお流」(それはおれもしょうちしておる)
「勝手ニ出る可与以」(かってにでるがよい)
この解読は、実はFacebook の「古文書が読みたい!(主宰 松下 弘様)」のメンバー皆様の熱心な検討の結果、下記の見事な訳文が完成しました。改めて御礼申し上げます。
「近来は一向外出もいたさぬ様子、被遊、 御聴(おききあそばされ)。夫二而は自然/病なといたし候而は、今、権右衛門、若いたみ共してハ、おれもけし/からす迷惑する。勝手に無構(かまいなく)外出致候様、家室共え心配も/するたろうけれと、夫はおれか承知しておる。勝手二出るか/よい」
上記は、太守様(熊本藩十代細川斉護公)が述べられた言葉を、蓮性院様(熊本藩九代細川斉樹公の正室)から高見権右衛門武久が伺った内容です。
口語調なので、変体仮名のオンパレードで難解でした。