九代 高見権右衛門武久 (31)
天保十年三月四日江戸龍ノ口於御殿 座席御留守居大頭同列被
仰付 若殿様御守役被 仰付御足高五百石并御役料(米+斤)米並ニ辺
被下置御用人之場遠茂相勤 蓮性院様御用之儀茂 諸事
今迄之通相心得之様被 仰付旨被 仰出候 天保十年四月六日
若殿様御出之節 御跡業被 仰付旨被 仰出候 同日 新御屋形
御用人之分職御用掛部而承(羊+永=承の俗語)り候様被 仰付御裏方分職今迄
之通承候様被 仰付 一橋御用掛共被遊御免旨被 仰出候
天保十年四月七日 九曜御紋付晒御帷子一 當年其結婚ニ茂
被 仰付候段共兼々格別出精相勤候ニ付 従太守様御内々此御
品被下置候 天保十年四月十九日 太守様より御内々
御意之趣
近来者一向外出茂い多さぬ様子被遊 御聴夫ニ而者自然
病奈と以多し候而者今権右衛門若い多み共してハおれも介し
から春迷惑春る勝手ニ無構外出致候様家室共江心配茂
天保10年3月4日 江戸の龍ノ口の御殿で、座席は留守居役の大頭と同列を仰せ付かり、若殿様のお守役も仰せ付けられ、足高五百石とヤク料(米+斤)は米並に下され、用人の立場よりも蓮性院様のご用についても諸事は今迄通りに心得るよう命じられた。
天保10年4月6日 若殿様がお出ましの折には、お詰の仕事をするように命じられた。 同日 新しいお館の用人の分職、ご用掛部については承認するように仰せ付けられ、裏方の分職についても今迄通りに承諾するよう仰せ付けられ、一方一橋家のご用掛については辞退するよう命じられた。
天保10年4月7日 九曜の紋付晒帷子を一つ、 今年はその結婚についても(お役を)仰せ付けられるので、兼々格別な仕事をこなしたので、太守様から内々にこのお品を戴いた。
天保10年4月19日 太守様(熊本藩10代藩主細川斉護公)の内分の(表沙汰にしない)考え方は次の通りである
近頃は一向に外出もしない様子を(太守様が)お聴き遊ばされ。これでは自然と病気にかかってしまう。権右衛門がもし痛みなどしてはおれもけしからん、困惑をする。
先を見ずに勝手に外出してしまうさまは、家中の者どもへ心配を
くずし字解読
左の画像は上記の終わりから3行目だが、分解すると「近来者一向外出茂」(ちかごろはいっこうがいしゅつも)
「い多さぬ様子」(いたさぬようす)
「被遊 御聴」(おききあそばされ)=権右衛門が最近外出しなくなったということをお聞きになって
「夫ニ而者自然」(それにては)=そうなると自然に
「病なと以多し候而者」(やまいなどもっておおしそうろうては)=病気がちになるであろう
「今権右衛門」(いまごんうえもん)=今権右衛門が
「若い多み共してハ」(かくいたみどもしては)=もし病気になってしまうと
「おれもけし」(おれもけし
「から春迷惑春る」(けしからずめいわくする)=異しからず、不都合で迷惑する
「勝手ニ無構」(かってにかまいなく)=勝手にお構いもなく
「外出致候様」(がいしゅついたすそうろうよう)
「家室共江心配茂」(いえむろどもへしんぱいも)=妻たちへ心配も
変体仮名の整理
この項で出てくる変体仮名を参考のために列記する。
者=は、茂=も、多=た、奈=な、介=け、良=ら、春=す、留=る、江=え、太=た、連=れ、止=と、可=か、流=る、与=よ、以=い