九代 高見権右衛門武久 (30)

熊本大学付属図書館所蔵 高見家文書 #1001

小倉路差越可申旨御達ニ相成候 前条之通ニ付天保九年閏四月

朔日御國許致(差立) 同年五月十日江戸白金御屋敷江致着候

天保九年六月四日 表葵御紋附縮御帷子一 晒一反 兼々

出精相勤候旨ニ而 蓮性院様於 御前被下置候

天保九年六月二十八日 御前様より御盃被下置候 天保九年

十一月二十二日 表葵御紋附縮緬御小袖一 蓮性院様於

御前被下置候 天保九年十一月二十九日御吸物椀御膳共ニ五人前

蓮性院様於 御前被下置候 天保九年十二月二十一日

嶋縮緬一反 黒御帯地一筋 御扇子弐本 若殿様於

御前被下置候 天保九年十二月二十七日 兼々御用整之處

厚ク心遠用諸事主ニ成格別骨遠折相勤候ニ付

御紋附薄御上下一具 二桐御紋附羽二重御小袖一従

太守様御内々被下置旨御近習御次組脇之奉札ニ而江戸表ニ

相迫候ニ付同所ニ而致双載候 但江戸江致迫着候事ハ 天保十年正月二十七日之

小倉路経由で(江戸を)目指すようにとのお達しがあった。

予定通りに天保9年閏4月1日 熊本を出発、同年5月10日江戸の白金中屋敷に到着した。

天保9年6月4日 表葵の紋附縮帷子を一つ、晒(さらし)を一反、 兼々しっかり働いたので、蓮性院様の御前で戴いた。

天保9年6月28日 御前様(太守様)から盃を戴いた。

天保9年11月22日 表葵の紋附縮緬小袖を一つ、蓮性院様の御前で戴いた。

天保9年11月29日 吸物のお椀とお膳を共に5人前を蓮性院様の御前で戴いた。

天保9年12月21日 嶋縮緬一反と、黒の帯地一筋、扇子2本を若殿様の御前で戴いた。

天保9年12月27日 兼々ご用の準備を具合よくまとめていたところ、十分な気配りをし、万事格別な骨折をしたので、

紋附薄上下一式、二桐の紋附羽二重小袖一つを、太守様から内々に戴けるという旨を近習のお次の組脇の奉札(太守様のご意向を近習が文書化したもの)

でもって江戸に近づいて来たので、同所で二重に(奉札を)書き記した。 但し、江戸に到着したのは天保10年(1839)1月27日であった。

くずし字解読

左の画像は上記の終わりから2行目だが、分解すると「太守様御内々被下置旨」(たいしゅさまごないないにくだしおからるむね)太守様とは時の藩主で、ここでは熊本藩十代藩主の細川斉護公。

「御近習御次」(ごきんじゅおつぎ=主君のそばで仕える役用の次の間)

「組脇之奉札ニ而江戸表ニ」(くみわきのほうさつにてえどおもてに=近習の脇役の奉札で江戸に)

「相迫候ニ付同所ニ而」(あいせまりそうろうにつきどうしょにて)=そろそろ江戸に到着しそうだと考え同じ場所で

「致双載候」(そうさいいたしそうろう)=コピーの奉札を書いておいた。

しかしながら,権右衛門が江戸に到着したのは、まる一月も後のことであった。