和田城ついに見つかる

先の「九州転封までのゆかりの城址」で、高見家初代の和田勝五郎重治の生家である和田城の場所が確定できた。なんと、それは「岩尾城」という名で紹介されていました。Facebookの公開グループである「城好き、歴史好きグループ」の8,766名の中のお一人の方からお教え頂いた。長年探し回っていたが見つけることができなかった。まさに、「ネットの力恐ろしや!」を地で行く話だ。大いに感謝致申し上げる。

詳細はこちらの城郭放浪記を参照されたい。

以下は丹波市ホームページから引用

岩尾城址は山南町和田の蛇山(標高358m)の山頂に在る。本城は和田氏五代目の和田日向守斉頼が永正13年(1516)築城し、その子和田作左衛門尉師季の天正7年(1579)に明智軍の丹波攻めにより落城した。7年後の天正14年(1586) 木戸十乗坊(佐野下総守)が本城主として入部し、文禄4年(1595)国替えにより転封となり、以後城主はなく、慶長元年(1596)廃城となった。
  現在の城址には戦国時代の山城と、佐野氏改修の近世的な城郭様式とが混在しているが、本丸跡には天守台とそれを取り囲む付櫓の礎石や、野面積みの石垣等がよく残っており、戦国時代末より近世に移行する両時代の様相をとどめた城郭址である。