九代 高見権右衛門武久 (29)

熊本大学付属図書館所蔵 高見家文書 #1001

天保九年正月十三日 九曜御紋附羽二重御小袖一柴紋縮緬一反

彝之御置物一 御袂落一 御薬 明後日御國許江致出立候ニ付

若殿様於 御前被下置候 天保九年正月十三日 銀御かんさし

弐本 筥世古其外御品々 明後日致出立候ニ付

蓮性院様於 御前被下置候 天保九年正月十四日

葉桜御紋附縮緬袷御羽織 一 御野袴 一具 兼々出精相勤

長詰遠茂致明日出立以多し候ニ付従 太守様被下置旨龍ノ口

於御次山崎太郎左衛門申達候 右同日嶋縮緬一反 明日被差立

候ニ付御前様於 御前被下置候 天保八年十二月十三日来閑表

御國許江休息被 仰付旨御達ニ相成居候ニ付翌天保九年正月

十五日江戸表被差立同年二月十五日御國許江致着候

天保九年四月八日休息之日数備ふ申候得共承掛之御用有之

候ニ付出府被 仰付旨 御奉行所より御達有之候

天保九年四月二十二日出府被 仰付置候ニ付来月朔日此許被差立

天保9年(1838)1月13日 九曜の紋附羽二重小袖一柴紋(雑木の束ねた小枝を図案化した紋)の縮緬一反 (い=祭祀用の青銅器)の置物を一つ、袂落(たもとおとし=袂に入れる袋)を一つ、お薬を明後日に熊本へ出発するので、若殿様の御前で戴いた。

天保9年1月13日 銀のかんざしを2本、筥世古(はこせこ=女性が懐中に入れた紙入れの一種)、そのほかの品々を明後日出発するので、蓮性院様の御前で戴いた。

天保9年1月14日 葉桜の紋附縮緬袷羽織を一つ、野袴(旅行や火事装束などに着用した袴)を一揃いを、兼々しっかり働き、長時間の詰めをもした後で明日出発をするという事で太守様から(この品々を)戴けるとの旨を龍ノ口の次の間で、山崎太郎左衛門が申達された。右と同じ日に嶋縮緬一反を明日出発するということで、御前様から直接戴いた。

天保8年12月13日 公の仕事が暇になり、熊本へ休息の仰せ付けがあった旨のお達しがあったので、翌天保9年1月15日江戸を出発同年2月15日熊本に到着した。

天保9年4月8日 休息の日数が残っていたが、承掛の(承諾すべき)ご用があったので、江戸に向かう様仰せつけられる旨のお達しが奉行所からあった。

天保9年4月22日 江戸へ出発するよう仰せ付けがあったので、来月の朔日にここを出発し

くずし字解読

左の画像は上記の1行目だが、分解すると「柴紋縮緬一反」(しばもんちりめんいったん)

「彝之御置物一」(いのおきものいち)、「彝」とは青銅製の祭祀に使われる礼器の総称。

「御袂落一」(おんたもとおとしいち)、「袂落」とは和服用のポケットで一対が紐で結ばれている。

「御薬」(おくすり)

「明後日御國許江」(みょうごにちおんくにもとえ)

「致出立候ニ付」(しゅったついたしそうろうにつき)

現代語訳すると、「柴の紋付一反と彝の置物一つ、袂落とし一つにお薬を、明後日熊本に出発するので」となる。