九代 高見権右衛門武久 (27)

熊本大学付属図書館所蔵 高見家文書 #1001

御小盃一升ニカン(=荻・おぎ)蒔繪番共 御猪口一青地 雅之進様より被下置候

天保八年正月 御帯地華博多一筋 御猪口一 御袂落一組従

蓮性院様被下置候 天保八年三月十五日 雅之進様今度

御嫡子様之御届被遊筈ニ付右御用掛被 仰付候

天保八年五月五日 雅之進様御縁組御用掛被 仰付旨於御家

老間九郎右衛門殿被申渡候 天保八年五月二十二日 新御屋形御近習

御次支配頭右分職被 仰付其外之諸分職御用掛共ニ都而

相勤候段被 仰付旨九郎右衛門殿書附被 相渡候 天保八年六月十八日

越後嶋一反 晒一反 蓮性院様於御前被下置候

天保八年七月朔日 御嫡子様御届御用掛相勤候ニ付

御紋附御長上下一具 同御烏帽子一 龍ノ口於 御前被下置候

天保八年七月朔日御嫡子様御届御縁組ニ付而毛初登より骨折被是

致心配候ニ付御内々 五三桐御紋附薄継御上下一具

九曜御紋附縮御帷子一 八丈嶋 一反御内々被下置候

小盃(小さな杯)を一升(ひとます分)に荻(おぎ)の蒔絵一組 青地のお猪口一つを雅之進様から戴いた。

天保8年1月 華柄の博多帯地を一筋、お猪口を一つ、袂落(たもとおとし=袂に入れる袋)左右一組を、蓮性院様から戴いた。

天保8年3月15日 雅之進様が、この度嫡子としての届けをなさるはずなのでこのご用掛を仰せ付けられた。

天保8年5月5日 (九代権衛門が)雅之進様のご縁組のご用掛を仰せ付けられる旨を家老の間の九郎右衛門殿が申し渡された。

天保8年5月22日 新しいお屋方様の近習とお次支配頭の分職を仰せ付けられ、その外の諸々の分職やご用掛も同時にすべて勤めるようとの内容を九郎右衛門殿が書類で渡された。

天保8年6月18日 越後嶋一反と晒(さらし)一反を蓮性院様の御前で戴いた。

天保8年7月1日 嫡子様(雅之進様)のお届けのご用係を勤めたので、紋附長上下を一式、同じく烏帽子を一つ、龍ノ口の上屋敷の御前で戴いた。

天保8年7月1日嫡子様の届と縁組についても、最初の登城から骨を折りこの心配りをしたので、内々に五三の桐の紋附薄継の上下一式、九曜の紋附縮帷子を一つ、八丈嶋を一反を内々に頂戴した。

くずし字解読

左の画像は上記の5行目だが、分解すると「雅之進様御縁組」(まさのしんさまごえんぐみ)、「御用掛」(ごようがかり=ご用を準備する係)、

「被 仰付旨」(おおせつけらるるむね=仰せつけられることを)、「於御家(老)」(ごかろうまにて=御家老の間で)

「(御家)老間」「九郎右衛門殿」(くろううえもんどの)、「被申渡候」(もうしわたされそうろう=申し渡された)

左の「間」の門構えは「つ」のような形が普通で、辶(しんにょう)の「し」のように記される。

左の変体漢文は「てにおは」がなく、主語や主体があいまいで、しかも自分のことなのにそれがどこにも表記されない客観的な立場で書かれているのが普通である。

雅之進様の御縁組みについての御用掛は、家老の間で九郎右衛門殿が(私であると)申し渡された(誰がそのように決めたかについては触れていない)。