九代 高見権右衛門武久 (26)
雅之進様より被下置候 天保七年六月十四日 表葵御紋附縮御帷
子一 縮白御下召一 蓮性院様於 御前被下置候
天保七年十月二日 表桜御紋附御上下一具表桜御紋附縮緬御小袖 一
雅之進様御召古孫数衛ニ着用為致候様と乃御事ニ而拙者江被下置
旨奥於詰間御老女より申達候 天保七年十月九日 冬玉梅一鉢
但 一松形尾張焼御鉢 蓮性院様被遊 御登 城候節御拝領之御内
被下置候 天保七年十一月二十一日 御帯地一筋
諦了院様御一周忌ニ付従 太守様被下置候 右御因縁之御儀ニ付
御茶一箱 就君様より被下置候 天保七年十二月朔日御文庫一組
表葵御紋附縮緬御小袖一 御用相勤候ニ付 蓮性院様於
御前被下置候 天保七年十二月二十一日 嶋縮緬振袖御小袖一
白地カスリ振袖御烏帽子一 雅之進様於 御前御召古ル被下置
孫江着用為致候様ニとの御意ニ而被下置候 天保八年正月
御烟草入一組 御盃一 御袂落一組 御鉢一
雅之進様から戴いてしまった。
天保7年6月14日 表葵の紋附縮帷子を一つ、縮白の下召を一つ蓮性院様の御前にて戴いた。
天保7年10月2日 表桜の紋附上下一揃い、表桜の紋附縮緬小袖を一つ、それに雅之進様のお召しのお古を孫の数衛に着用のために、私に下さるという旨を奥座敷の詰の間でご老女より書面でのお達しがあった。
天保7年10月9日 冬玉梅を一鉢 但し、一松形尾張焼の鉢で蓮性院様が登城された折に拝領いただくとの連絡を戴いた。
天保7年11月21日 諦了院様の一周忌につき、帯地一筋を太守様から戴いた。この因縁(関わり合い)で、茶一箱を就君様(諦了院様の長女)から戴いた。
天保7年12月1日 文庫を一組、表葵の紋附縮緬小袖を一つ、ご用を勤めたという事で、蓮性院様の御前で戴いた。
天保7年12月21日 嶋縮緬振袖小袖を一つ、白地カスリの振袖烏帽子を一つ、雅之進様の御前で古着を孫に着用のためにとのお考えで下された。
天保8年(1837)1月 煙草入れ一組、盃を一つ、袂落(たもとおとし=袂に入れる小物入れ袋)を一組、お鉢を一つ、
くずし字解読
左の画像は上記の4行目だが、分解すると「雅之進様」(まさのしんさま=熊本藩十代藩主細川斉護公の長男)、「御召古」(おめしふる=使用された古着を)
「孫数衛ニまごかずえいに=九代武久の孫の数衛に)、「着用為致候」(ちゃくよういたさせそうろう=着用してもらう)
「様と乃御事ニ而」ようとのおんことにて=ようにとのことで)
「拙者江被下置」(せっしゃえくだしおかれる=自分に下さる)
「旨奥於詰間」(むねおくつめのまにて=ことを奥座敷の詰めの間で)
「御老女より申達候」(ごろうじょよりしんたつそうろう=ご老女から書面でお達しがあった)