九代 高見権右衛門武久 (24)

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1001

同御硯箱 青貝細工御印たん春 右御三品 太守様白金御屋形江

被為 入候節於 御前被下置候 天保七年二月

諦了院様御道具之内 太守様 蓮性院様 思召ニ而御夜具其外

御膳部数御こざこざ之御品々御長持奈ど等被下置候 但右其一統与遺物

拝領之御品ニ而と無之別段ニ被下置候 天保七年三月三日御用有之

諦了院様御在世中遲久長詰迄遠茂以多し 御高年様之御事ニ茂被為

在候ニ付 御奉養筋遠初萬犒厚心遠用数年之間出精以多し且當御役

茂多年相勤候ニ付考此節 思召遠以今迄被下置候御足高百石地面ニ

被直下置旨被 仰出之候

天保七年三月三日 御裏方支配頭右分の職被 仰付 蓮性院様御用

引除詰被 仰付 雅之進殿御用遠茂兼相勤候様被 仰付之白金

御近習御次御裏方支配頭之儀ハ是迄之被 仰付置旨於御家老間

口達之場之書附被相渡候 天保七年三月十六日 諦了院様為

御遺物 ソウ(さんずいに宗)泉桜御紋附木綿御上張一 松蓋菱御紋附羽二重御小袖一

同じく硯箱、青貝細工の御印たんす(印鑑を入れる小道具箱?)の三品は、太守様(熊本藩十代藩主細川斉護公)が白金のお屋形に入られる折に、御前で戴いた。

天保7年2月 諦了院様のお道具のうち、太守様、蓮性院様の思し召しで夜具、その他お膳周りのこまごまとした品々、長持などを戴いた。但し、この一連の遺物拝領の品々と、そうでないものの区別はされていない。

天保7年3月3日 ご用があって、 諦了院様が在世中に遅くまで長詰することが多く、ご高齢の身でもあったので、奉養筋(お世話をする方面)を初め、皆ねぎらいの強い心を用いて数年の間出精も多く、且つこの役目も多年に亘り勤めたので、この席を考慮され思し召しによって、今まで下された足高百石を禄高に繰り上げる旨を仰せられた。

天保7年3月3日 裏方支配頭の仕事の分担を仰せ付けられ、蓮性院様のご用の引除(待機)詰を仰せ付けられ、雅之進殿のご用までをも兼任するよう仰せ付けらた。

この白金の屋敷の近習(主君のそば近くに仕える家来)やその次の家来、裏方(奥方達)を指導することについては、これまで通りだと家老の間の口達の場で(わざわざ)書付をもって渡された。

天保7年3月16日 諦了院様の遺物であるソウ(さんずいに宗=水が流れる音の意味)泉桜の紋附木綿上張一、松蓋菱の紋附羽二重小袖一

一口メモ

形見分けの品々


少将様(熊本藩八代斉茲公)は天保6年(1835)10月23日に81歳で逝去されたが、九代高見権右衛門武久は生前から数々の賜り物を戴き、形見分けについても様々なお品を頂戴している。その主な品々をまとめてみたが、当時の生活ぶりが窺えて興味深い。

衣類
ソウ(さんずいに宗)泉桜の紋付木綿の上張(上っ張り) 
松蓋菱の紋付羽二重小袖
八重桜の紋付笹形の絽(夏物)単衣(ひとえ)
ソウ(さんずいに宗)泉桜の紋付蘭形縮緬単衣(ちりめんひとえ)
表桜の紋付風織縮緬(かざおりちりめん)被風(外衣)
松蓋菱の紋付縮緬綿入れ羽織
五三桐の紋付羽二重
桜菱の紋付縮緬袷羽織(あわせばおり=裏地のついた羽織)
表桜の紋付縮緬小袖
八重桜の紋付段洞肩衣(夏用かたぎぬ)

尚、江戸時代の服装やその文様・模様、生地や織物について、「図解日本の装束」にイラスト入りでわかりやすく解説されているので、参考にされたい。

お側の道具
青貝細工花の丸模様の斬紙(きりがみ)箱
青貝細工花の丸模様の硯(すずり)箱
青貝細工印たん春(印鑑を入れる小箪笥
若松蒔絵の五つ重ね重箱
唐焼の大ヒビ焼花生け、紫檀の台付き
桜紋の透煙草盆(すかしたばこ盆)
紙入れ
烟草入烟管(煙草入れとキセル)
白銅香合(こうごう)
蒔絵盃一組」(まきえさかずき)

その他

掛物一幅 榮兎の絵画2枚 明キ(にんべんに奇)雲山人筆による
諦了院様の絵(江ノ島の図1枚)
夜具
長持