九代 高見権右衛門武久 (22)

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1001

天保五年十二月二十二日 兼々致出精且 蓮性院様御用遠茂相勤

雅之進様御引移後御世話遠茂申上其外諸事致心配候ニ付

九曜御紋附裏附御上下一具葉桜御紋附縮緬御小袖一従

太守様御内々被下置候 天保六年六月十一日今井久兵衛娘おき世

此節致養女候ニ付而者彼是致心配此後之處茂嘸世話可致被為

思召上 九曜御紋附縮御烏帽子一従 少将様被下置候

天保六年六月二十六日 万年青御鉢植一鉢 御鉢尾張焼花車染附

従 少将様被下置候 天保六年七月六日 兼々出精相勤候ニ付

涼泉桜御紋附絽御単一 但御下繪之秉形 少将様於 御前

被下置候 天保六年九月十九日 青貝細工御卓一 少将様於

御前被下置候 天保六年十月 春秋山水二幅對御掛物 但養川院筆

従 少将様被下置候 天保六年十一月九日数年出精相勤此節

御供被 仰付御道中筋入急相勤候様被遊 御意御三所物

金倶利加羅龍 堀江奥成作 従太守様御手自被下置候

天保5年12月21日 兼ねてより出精して、諸事は主に細やかな心で仕事に携わって以来、人数も少ない中で御間を抜け出すこともなく精勤したので、 紋附織線入(=織紋:織で紋を表したもの)熨斗目(小袖の生地として用いた絹織物)を一つ、紋附帷子を一つ、八重桜の紋附絽羽織を一つ、少将様から内々に戴いた。

右同年同月同日 屋敷内のご用について、よく勤めたので五三桐の紋付で龍紋裏附の上下一揃いを思し召しによって少将様から戴いた。

天保5年12月22日 兼々精を出し、かつ蓮性院様のご用をも勤め、雅之進様の公儀に就いた後のお世話もさせて頂き、この他諸事に心配りをしたので、九曜の紋附裏附上下一式と、葉桜の紋附縮緬小袖一つを、 太守様から内々に戴いた。

天保6年(1835)6月11日今井久兵衛の娘のおき世をこの時に養女に招ことについてはかれこれ心配し、その後もどのように世話をすべきかについては、さぞや(色々と)考えたであろうとの思召しで、九曜の紋附縮烏帽子を一つ、少将様から戴いた。

(今井久兵衛=備頭組 留守居大頭組 定府:江戸広間取次 百石)

天保6年6月26日 万年青(おもと)の鉢植を一鉢、鉢は尾張焼で、花車の染附、を少将様から戴いた。

天保6年7月6日 兼々仕事に励んだので、涼泉桜紋附絽織(糸目を透かして織った絹織物)の単(ひとえ)を一つ 但し、下絵は秉(へい=束)形、少将様の御前で戴いた。

天保6年9月19日  青い色をした貝細工の卓(机)を一つ少将様の御前で戴いた。

天保6年10月 春秋山水の二幅對の掛物 但し、養川院(狩野惟信)の筆 を少将様から戴いた。

天保6年11月9日 ここ数年に亘って出精して勤めたこの折に、お供を仰せ付けられ、道中筋に急ぎ入り勤める様、とのご意思で、堀江奥成作の金の倶利加羅龍三所物を太守様のお手自ら下された。

くずし字解読

左の画像は上記の5行目だが、分解すると「此節」(このせつ=この時に)「致養女候ニ付而者」(ようじょいたすそうろうについては=養女に招くことについては)

「彼是致心配」(かれこれしんぱいいたし=あれやこれやと心配りをして)「此後之處茂」(このごのところも=その後についても)

「嘸世話可致」(さぞせわいたすべく=さぞや世話をするべきか)「被為(思召)」(おぼしめしなされ=お考えになり)