九代 高見権右衛門武久 (21)

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1001

密之御時分より厚御世話申上候由ニて嶋縮緬一反 永田町従

栄昌院様御内々御送りニ相成候 天保五年十二月朔日沢村八郎左衛門

休息中御用相勤候ニ付 嶋縮緬一反 丹後琥珀袴地一反

蓮性院様於 御前被下置候 天保五年十二月五日 太守様御箏

龍ノ口於御屋形 御手自被下置候 天保五年十二月八日

少将様 思召より以御香爐一庵銅カイチノ形於 御前被下置候

天保五年十二月十三日沢村八郎左衛門休息中 蓮性院様御用意相勤候様被

仰付置候処被遊 御免旨浅口権之助方より達ニ相成候 天保五年十月二十三日

檜葉フ入御鉢植一 御鉢尾張焼牡丹染付従 少将様被下置候

天保五年十二月二十一日 兼々出精相勤諸事主ニ成厚心遠用當表

以来ハ御人少之處無御間抜出精相勤候ニ付 御紋附織線入御熨

斗目一 御紋附御帷子一 八重桜御紋附絽羽織一従

少将様御内々被下置候 右同年同月同日 御内御用向出勤相勤候ニ付

五三桐御紋附龍紋裏附御上下一具 思召より以従 少将様被下置候

(雅之進様が)まだ公の場に登場される前から厚くお世話を申し上げたという事で、嶋縮緬一反を永田町の栄昌院様(細川藩主十代の斉護公の生母で支藩宇土細川家八代藩主立之公の正室)から内々にお送りいただいた。

天保5年12月1日沢村八郎左衛門が休息中に、ご用を勤めたので、嶋縮緬一反、丹後琥珀袴地一反を 蓮性院様の御前で戴いた。

天保5年12月5日 太守様の箏(=琴)を龍ノ口の上屋敷でお屋形様の手で自ら下された。

天保5年12月8日 少将様の思し召しによって庵銅カイチの形をした香爐を一つ御前で戴いた。

天保5年12月13日 沢村八郎左衛門の休息中に蓮性院様のご用意を勤めるよう仰せ付けられていたが、お役御免の旨を浅口権之助から達しがあった。

天保5年10月23日 斑入り檜葉(ヒバ)の鉢植、鉢は尾張焼牡丹の染付、を少将様から戴いた。

天保5年12月21日 兼ねてより出精して、諸事は主に細やかな心で仕事に携わって以来、人数も少ない中で御間を抜け出すこともなく精勤したので、 紋附織線入(=織紋:織で紋を表したもの)熨斗目(小袖の生地として用いた絹織物)を一つ、紋附帷子を一つ、八重桜の紋附絽羽織を一つ、少将様から内々に戴いた。

右同年同月同日 屋敷内のご用について、よく勤めたので五三桐の紋付で龍紋裏附の上下一揃いを思し召しによって少将様から戴いた。

くずし字解読

左の画像は上記の9行目だが、分解すると「檜葉フ入り」 (ひばふいり=斑入りのヒバ)「御鉢植一」(おんはちうえいち)

「御鉢尾張焼」(おんはちおわりやき)「牡丹染付」(ぼたんそめつけ)

左の画像は染付牡丹 三足 丸鉢 尾張焼 盆栽鉢の例だが、染付とは、白色の胎土で成形した素地の上に酸化コバルト(II)を主とした絵の具で模様を絵付し、その上に透明釉をかけて高温焼成した陶磁器のこと。

「少将様被下置候」(しょうしょうさまくだしおかれそうろう=少将様から下された)。

少将様は、熊本藩8代藩主の細川斉茲公で、幼名は与松、浜町様、少将様、諦了院様と、時代によって呼称が変わってきた。