九代 高見権右衛門武久 (20)

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1001

少将様被下置候 天保五年四月十四日沢村八郎左衛門御國許江休息中

蓮性院様御用遠茂無相勤候段被 仰付旨御達有之候

天保五年五月十一日今度 雅之進様御引取ニ付而者初發より彼是

心配以たし候旨ニ而御鍔一腰 (雪歴重彫透シ大小對) 九曜御紋附椋麻御長上下

一具 少将様於 御前被下置候 同年同月同日右御同様之御趣意

ニ而 仙臺平御袴地二端従 太守様被下置候 天保五年六月二十八日

表桜御紋附木綿御単一 少将様於 御前被下置候

天保五年七月九日 ソウ(さんずいに宗)泉桜御紋附キビラ御帷子一 御長晒一

少将様於 御前被下置候 天保五年七月九日昨年権右衛門御國本江

休息被 仰付候得共暫之間にてと申 御沙汰ニ而越後嶋御帷子地

一反 妻ミち江被下置候 天保五年十一月十六日 八重桜御紋附縮緬

綿入御被風一 但古无(む)ゼ絽御肩入紅 上田嶋御単一 近来免角

御申分勝ニ被為在別而心配相勤候ニ付 被下置旨 少将様於

御前御老女田川申達被下置候 天保五年十月二日 雅之進様御内

少将様が下さった。

天保5年4月14日沢村八郎右衛門が熊本へ休息中のとき、蓮性院様のご用を勤めることの必要はないと仰せつけられる旨のお達しがあった。

天保5年5月11日今度、雅之進様(細川家熊本藩十代主斉護公の長男泰樹院)のお引き取りについては初めから、かれこれ心配をしているので、 鍔(刀のつば)を一腰(但しこれは)透かしの雪歴重彫大小對、九曜紋附椋(むくの木)麻長上下を一そろい を少将様の御前で戴いた。

同年同月同日右と同じ趣意(考え方)で、仙台平の袴地を2端(反)を太守様から戴いた。

天保5年6月28日  表桜の紋附の木綿単(ひとえ)を一つ、少将様の御前で戴いた。

天保5年7月9日 涼泉桜の紋附キビラの帷子を一つ、長晒(さらし)を一つ、 少将様の御前で戴いた。

天保5年7月9日昨年権右衛門が熊本へ休息のために帰るよう仰せつけられたが少しの間でとのご沙汰であったので、 越後嶋の帷子地を一反 妻のみちへ下された。

天保5年11月16日 八重桜の紋付縮緬の綿入り被風(ひふ=着物の上に着る外衣)を一つ、 但し古无(む)ゼ絽の型入りで色は紅、上田嶋の単(ひとえ)一つ、 近来とかく申し分は正しく色々と心配りをしているので、これらを下さるという旨を少将様の御前で老女の田川へ申達された。

天保5年10月2日 雅之進様が

くずし字解読

左の画像は上記の3行目だが、分解すると「雅之進様」(まさのしんさま=十代藩主斉護公の長男)

「御引取ニ付而者」(おひきとりについては=九代武久が次の藩主として養育を任されたことについては)

「初發より彼是」(はつがよりかれこれ=最初の出会いから色々と)

「心配以たし候」(こころくばりいたしそうろう)「旨ニ而」(むねにて)「御鍔一腰」(おんつばひとこし=大小の刀のつばを)

「雪歴」(せつれき=雪が混じった?)「重彫透シ」(かさねぼりすかし=透かしの入った重ね彫り)「大小對」(だいしょうつい=太刀と脇差し用の鍔)

左の鍔は、京透鍔の例だが、刀剣については「刀剣ワールド」に詳しく解説されているので、一読されたい。