九代 高見権右衛門武久 (19)

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1001

同年同月同日 少将様 思召遠以小桝織金入帯一筋娘壽き江

被下置旨奥御居間ニおゐて御老女田川より申達候 天保四年七月當秋

御國許江休息被 仰付旨市部兵衛殿より申来候ニ付同年八月二十八日

江戸表被差立同年九月二十八日御國許江致着候 但苦節四カ年相詰休息被仰付候

天保四年十月十六日用意濟次第早々出府被 仰付旨御用番より御達ニ相成

候ニ付同年十月十八日御國許被差立同年十一月十三日江戸白金御屋形江致着候

但其節 少将様御不例之段御前来有之候ニ付御國江休息日数二十日

天保四年十一月十五日御床揚被遊 御祝御紋附横麻御上下一具被下置候

天保四年十一月二十一日 青貝細工御吹筒一 唐銅海老御置物一

少将様於 御前被下置候 天保四年十一月二十四日 松葉蘭御鉢植一鉢

御城二而御拝領之御内 蓮性院様より被下置候 但御鉢尾張焼白之瀧ニ鯉之染附

天保四年十二月二十一日 兼々出精相勤休息より茂被 仰付置候

處速ニ

致出府諸事主ニ成厚ク心より用出精相勤當度進席より茂被 仰付置候得共

表桜御紋附羽二重御小袖一 九曜御紋附縮御帷子一御内々従

同年同月同日 少将様の思し召しによって小桝織の金入帯を一品、娘のすきへ下さる旨、奥の居間に於いて御老女の田川より申達(文書による指令)があった。

天保4年7月 この秋国許で休息することを仰せ付けられる旨を市部兵衛殿からの申入れがあったので同年8月28日江戸を出発し同年9月28日熊本に到着した。但し、苦節4年の勤めの休息を仰せ付けられた。

天保4年10月16日用意が済み次第早々の出府を仰せ付けられる旨、用番からお達しがあったので同年10月18日熊本を出発、同年11月13日江戸の白金中屋敷に到着した。

但し、その折には少将様が病気にかかっていたので、御前に来なければならず熊本での休息は20日間であった。

天保4年11月15日床揚(病気の快復)され、そのお祝いとして紋附横麻の上下一式を戴いた。

天保4年11月21日青貝細工の吹筒(吹き矢を飛ばすための筒)を一つ、唐銅海老の置物を一つ、少将様の御前で戴いた。

天保4年11月24日 松葉蘭の鉢植一鉢をお城で拝領する案内を蓮性院様から戴いた。但し、鉢は尾張焼で白の瀧に鯉の染付け。

天保4年12月21日兼々出精し相勤め、休息よりも変則に仰せ付けられ速やかに出府する諸事が主な仕事となり、心から一生懸命働いたので、 少将様が下さった。

くずし字解読

左の画像は上記の1行目だが、分解すると、「思召遠以」(おぼしめしをもって)「遠」は変体かなの「を」。

「小桝織」(こますおり=織り方の一種で小さな桝形の織で、蜂巣織りともいう。

「金入御帯」(きんいりおび)。「一筋」(ひとすじ=1本)。

「娘壽き江」(むすめすきえ=娘の壽喜へ)。

「被下置旨」(くだしおかるるむね=下さると言うことを)。「奥御居間ニ」(おくおんいまに)。

「於為天」(おゐて)。「御老女」(ごろうじょ=奥向きに仕えた侍女の長である女性)。

「田川より」(たがわより=田川から)よりは合字。

「申達候」(しんたつそうろう=書面での指令があった)。