九代 高見権右衛門武久 (14)

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1001

七月十一日 兼々出精相勤候旨被遊 御意 五三桐御紋附縮御帷子

一奥於御居間 少将様被下置候 天保二年十二月十七日兼々

出精以多し諸事主ニ成取斗心より困相勤候ニ付 思召より以 八重桜

御紋附裏附御上下一具 二桐御紋附紬御綿入一 九曜御紋附縮

御帷子一御内々従 少将様被下置候

天(保)二年十二月十六日御女中祝盤并迄以 御沙汰之銘左之通

  昨十五日大崎御屋敷江被為 入候節御先番ニ罷出候處

  於 御前御汁子餅頂戴被 仰付下り候上御側之御女

  中江被為在 御沙汰候ハ権右衛門續而酒遠止メ被遊

  御飲旨酒遠止メ候而天寒中喰辛ク可有之被為

  思召上 御前被為 召候 御胴召遠可被下置ニ候處

  御裏赤ク夫ニ而天着用致間鋪被為 思召上外ニ

  御前被為 召候通ニ赤御裏外より見て不申様御仕立被

  仰付可被下置と被為在 御沙汰候由翌十六日奥於詰所

7月11日 兼々精を出して勤めたとの思召し遊ばされ、五三桐の紋附縮帷子一を奥の居間で少将様より戴いた。

天保2年(1831)12月17日兼々精を出すことが多い諸事は、主に取り計らい(熟慮)によって対処したので、困ったことではあるが、思し召しにより八重桜の紋附裏附上下一具 二桐紋附紬綿入一 九曜の紋附縮帷子一を内々に少将様から戴いた。

天(保)2年(1831)12月16日女中(女奉公人)の祝盤井(節度を持って楽しむお祝い)について、肝に銘ずべき沙汰(指図)は次の通り

昨15日大崎の屋敷(戸越屋敷)へ行き、先に居た人に会った折に、御前にてお汁子餅を頂戴するよう仰せ付けられ、下がってからお側の女中に指示されたことによると、権右衛門が続いて酒を飲むことを止められても、旨い酒を止めて寒い中食事を摂るのが辛かろうと思し召され、

御前で召される胴召(上着と下着の間の寒さをしのぐ着物=胴着)を戴けるということであったが、胴着の裏が赤いので着用してはまずいと考え、御前で着用するときは、赤裏は外から見て(苦言を)言われないように仕立てをするよう、裁定があった由。

翌16日奥の詰所にて

くずし字解読

左の画像は上記の13行目だが、分解すると「御前被為 召候通ニ」(おんまえめしなさられそうろうとおりに)

「赤御裏外より見て」(あかおんうら そとよりみて)「より」はいわゆる合字。

「不申様御仕立被」(もうさぬよう おしたて)

意味は、御前で着用できるよう、赤い裏地が外から見て文句を言われぬように仕立てを

「被 仰付可被下置と」(おおせつけらるべくくだしおかれると)

「被為在 御沙汰候由」(ごさたあらせられそうろうよし)

意味は、仰せつけられる様に指図ががあったとのことである。

ここに出てくる常用句は、「兼々出精相勤」(かねがねしゅっせいあいつとめ)、「被下置候」(くだしおかれそうろう)、「以多し」(もっておおし)、「思召遠以」(おぼしめしをもって)、「被為在」(あらせられ)「候而天」(そうろうても)、「夫ニ而天」(それにても)、「より」(より)、「申達」(しんたつ)、「被 仰付」(おおせつけられ)、「可」(べし)、「被下置」(くだしおかれ)、「御沙汰」(ごさた)、

などなど。これらを意識的に覚えておくと、後々楽になってくる。

一口メモ

大崎御屋敷は寛文年間(1662年)に熊本藩細川家の下屋敷の一部となっていた。この戸越屋敷は、江戸龍ノ口の上屋敷及び芝白銀の下屋敷とは性格が異なり、鷹狩りやキジ狩り、あるいは茶会などを行う別荘風の邸宅であったとされている。

この大崎御屋敷に設けられていた武家屋敷門は、龍ノ口の上屋敷や芝白銀の下屋敷に構築されていた長屋門とは異なり、薬医門や冠木門などの簡素なものが中心であった。