九代 高見権右衛門武久 (12)

熊本大学附属図書館所蔵 高見家文書 #1001

下置候畢而於 御前右被下置盃之内 第一之御盃 菊御屋形様御酌

第二之御盃 太守様御酌 第三之御盃 少将様御酌ニ而

奉頂戴候 文政十二年十二月十九日兼々出精相勤候ニ付 五三桐御紋附

横麻長御上下一具 ソウ(さんずいに宗)泉桜御紋附縮緬御小袖一 九曜御紋附木綿

御上張一被下置候

右ソウ(さんずいに宗)泉桜御紋者 少将様御好ニ而出来被 仰付御紋ニ付容易ニ

御近習向江者不被下置候段共格別之思召より以被下置候ニ付右之節

申添置候段こと服部武兵衛を以被為在 御沙汰候

文政十二年十二月二十三日兼々出精相勤候ニ付 五三桐御紋附薄継御上下 一具

従 太守様被下置候 文政十三年二月十四日 兼々出精並ニ成且長詰

より茂致候ニ付 九曜御紋附縮緬草御羽織一 同御紋附薄継御上下 一具

被下置候 文政十三年二月十四日 兼々 少将様御用向出向出精相勤且

長詰をも致候ニ付 九曜御紋附羽二重御小袖一段 太守様被下置候

文政十三年二月十四日嶋縮緬一反 妻 おミち江被下置旨御老女

この度の内祝については、思召しによって戴いたことが、心が厚くなるまで困惑した。御前にて頂いた全ての盃の内、第一の盃は 菊のお屋形様(亡き九代藩主の正室蓮性院様か?)のお酌で、第二の盃は、太守様(熊本藩主十代細川斉護公・泰厳院様)のお酌で第三の盃は少将様(熊本藩主八代細川斉茲公)のお酌で頂戴した。

文政12年12月19日兼々出精を勤めたので、五三桐紋附及び横麻長上下一具、ソウ(さんずいに宗)泉桜の紋附縮緬の小袖一、九曜の紋附木綿上張り一を戴いた。右のソウ(さんずいに宗)泉桜のご紋は、少将様のお好みで作られたご紋なので容易に近習(殿様近くに仕える家来)向へは下されないが、(この度は)格別の思し召しによってくだされたものであると、その時に 服部武兵衛によって申し添えられたご沙汰であった。

文政12年12月23日兼々出精を勤めたので、五三桐の紋附薄継の上下 一具を太守様より戴いた。

文政13年(1830)2月14日兼々出精とともに長時間の働きであったので、九曜の紋附縮緬草羽織一、同紋附薄継上下一具を戴いた。

文政13年2月14日兼々少将様のご用向きに出精を勤め且つ、長時間の働きであったので、九曜の紋附羽二重小袖一段(一反)を太守様から戴いた。

文政13年2月24日嶋縮緬一反 妻 おみちへ下される旨、ご老女(詰の間にて)

くずし字解読

左の画像は上記の1行目だが、分解すると「(被)下置候」(いただいた)

「畢而於 御前」(ヒツ=ことごとく、全て)而はいわゆる漢文の置き字のようだ。従って(すべての)と読んだ。

「右御盃之内」(みぎ=このさかずきのうち)

「第一之御盃」(だいいちのおんさかずき)「菊御屋形様御酌」(きくおやかたさま=蓮性院様?おしゃく)

「第二之御盃」(だいにのおんさかずき)「太守様御酌」(太守様=十代斉護公おしゃく)

「第三之御盃」(だいさんのおんさかずき)「少将様御酌二而」(しょうしょうさま=八代斉茲公 おしゃくにて)

「奉頂戴候」(ちょうだいたてまつりそうろう)

いずれの文字も単漢字での解読は難しいが、頻繁に出てくる定型文なので覚えておこう。