九代 高見権右衛門武久 (10)

熊本大学付属図書館所蔵 高見家文書 #1001

今度  少将様御帰府長途之御道中出精相勤大坂御滞留中

格別致心配候ニ付 二桐御紋附薄継御上下一具御内々從

太守様被下置候 文政十年十一月十九日今度 御婚姻無御滞

被為濟候ニ付被 御祝 九曜御紋附御上下一具 同御紋附御小袖

一從 太守様被下置旨於江戸山城殿被申渡候 文政十年十一月十九日

前条御同様被遊御祝 嶋縮緬一反從 御前様被下置候

文政十年十一月從 少将様被下置旨ニ而 銀かんざし三本於江戸

御老女詰間ニ而被下置候 文政十年十二月二十二日兼々出精相勤支配方等諸事

申渡候ニ付五三桐御紋附御小袖一從 太守様於江戸被下置候文政十年

十二月二十五日兼々出精當人ニ而詰方茂然り格別出精相勤候ニ付思召より以九曜

御紋附織御熨斗目一 二桐御紋附縮緬綿入御羽織一御内々従 少将様

被下置候 文政十一年四月十日當分白金引除被 仰付置候処直ニ白金詰

引除被 仰付旨九郎太郎殿より御達ニ相成候 文政十一年七月十三日

整勤之處當人ニ而格別出精相勤候ニ付別段之 思召より以表櫻御紋附

この度、少将様(熊本藩八代藩主細川斉茲公・諦了院様)の帰国の長旅の道中で出精を勤め、大坂滞留中格別な心配りをしたので、二桐紋附薄継上下一具を内々に太守様より戴いた。

文政10年11月19日 この度婚姻が滞りなくすんだので、お祝として九曜の紋附上下一具、同紋附小袖一を太守様(熊本藩十代藩主細川斉護公・泰巌院様)から下される旨を、江戸の山城殿が申し渡された。

文政10年11月19日 前に触れたとおりお祝いとして嶋縮緬一反を御前様(八代細川斉茲公)の奥方より戴いた。

文政10年11月 少将様から下されるという事で、銀かんざし三本を江戸の老女詰の間で戴いた。

文政10年12月22日 兼々出精を相勤めた支配方などへ諸々の事を申し渡したので、五三桐紋附小袖一を太守様より江戸で戴いた。

文政10年12月25日 兼々仕事に励んだ当人と、詰方(待機していた人々)も同じ様に格別に励んだので、思し召しによって、九曜の紋附織熨斗目一 二桐紋附縮緬綿入羽織一を内々に少将様より戴いた。

文政11年4月10日 しばらく白金(江戸の下屋敷)に待機を仰せつけられていたところ、直ちに白金詰引除(待機)を仰せつけられる旨を九郎太郎殿から(正式に)お達しがあった。

文政11年7月13日 決められていた通りの仕事ではあったが、本人が格別に精を出して勤めたので特別の思し召しによって、表櫻紋附文政11年7月13日決められていた通りの仕事であったが、本人が格別に精を出して勤めたので特別の思し召しによって、表櫻紋附(薄継上下一具江戸にてくだされた。)

くずし字解読

左の画像は上記の最終行であるが、分解すると「整勤之處」(せいきんのところ=決められた仕事であったが)

「當人ニ而」(当人にて=本人自ら進んで) 「格別出精相勤候ニ付」(特別に精を出したので)

「別段之」(これは特別な) 「思召より以」(ご意向によって)

「表桜御紋付」(おもてさくらごもんつき)

細川家の家紋についてはこちら(津々堂のたわごと日録)を参考にしてください。