九代 高見権右衛門武久 (8)
文政九年五月九日 御家督被祝從 蓮性院様菱御袴地一反
被下置候 文政九年五月十八日 今度 御家督并御元服御用掛
相勤候ニ付被遊 御祝 御紋附御長上下一具 同御半上下一具
同御袷熨斗目一 同御帷子一於 御前被下置候 文政九年五月
十八日當春以来格別心配以多し候ニ付別段 九曜御紋附薄御上下一具
五三桐御紋縮御帷子一 被下置候 文政九年五月二十五日江府被遊
御発駕御供ニ而罷立同年六月二十七日熊本江被遊 御着座御道中
筋諸勤績相勤御同日着仕候 文政九年七月二十日御書出御用掛被
仰付旨於御家老間直施殿被申渡候 文政九年八月二十一日 御入國被遊
御祝 九曜御紋附御上下一具 同御紋附御帷子二ツ被下置旨
於御花畑御用番内道殿被申渡候 文政九年九月十五日来年
御参勤之御供志らべ被 仰付旨於御家老間織部殿被申渡候
文政九年十月十五日来年 御参勤之御供被 仰付旨御用番織部殿
被申渡候 文政九年十二月十五日御書出御用掛相勤候ニ付
文政9年5月9日ご家督のお祝いで、蓮性院様(諦観院様の正室)から菱文の袴地一反を戴いた。
文政9年5月18日 このたび家督並びに元服のご用を勤めたのでお祝いとして、紋付長上下一具、同半上下一具、同袷熨斗目一、同帷子一を殿(10代細川齋護公)の御前にて戴いた。
文政9年5月18日 この春以来格別な心配事が多かったので、(上記とは)別に九曜の紋附薄上下一具、五三桐縮帷子一を下さった。
文政9年5月25日 江戸を出発された折にお供した。同年6月27日熊本へお着きになられ、道中筋色々と勤めあげ、同日着いた。
文政9年7月20日 御書出しのご用掛けを仰せ付けられる旨を家老の間に於いて直施殿が申し渡された。
文政9年8月21日 入国遊ばされたお祝いに九曜紋付上下一具、同紋付帷子二つを下される旨花畑の館にて用番内道殿が申し渡された。
文政9年9月15日 来年参勤のお供調べを仰せ付けられる旨家老の間にて織部殿が申し渡された。
文政9年10月15日 来年参勤のお供を仰せ付けられる旨用番の織部殿が申し渡された。
文政9年12月15日 御書出しご用掛けを勤めたので九曜の紋附上下一具、同紋附小袖一を戴いた。
くずし字解読
左の画像は上記画像の終わりから3行目を拡大したものです。
解読すると、「御参勤之御供志らべ被」となるが、御参勤の「参」、「之」は頻繁に出てくるが、それだけ崩し方に特徴があるので形の特徴を覚えて欲しい。
「志」は変体仮名の「し」で、そのあとに平仮名の「らべ」が続き、意味は(調べ)となる。
「仰付旨於御家老間」(おおせつけらるむね ごかろうのまにて)
「被 仰付」(仰せつけらる)は通常左のように敬意を表して1文字分空けて書かれるが、このケースでは改行することで同様な意味合いを持つ。文章の途中から改行される場合は、更に大きな敬意を表する意味合いを持つ。
この「間」の字も特徴的で、門構えは横棒になってしまうケースが多い。
「織部殿」「被申渡候」は一連の慣用句で、織部殿が申し渡されたとなるが、最後の「候」も様々な形で表示されるので覚えておこう。
一口メモ
お御書出については、先に紹介した熊本大学リポジトリの松本寿三郎氏による近世細川家における「御書出」の交付について に詳しく記されているが、文政9年9月18日の御書出の発行は、978枚とのことで、何人が手分けして作成したかは判らぬが、限られた時間での作業は大忙しのことであったろう。