九代 高見権右衛門武久 (4)
御帰國之御供被 仰付文政三年四月二十五日江戸被遊 御発駕被為祢
御社参同年五月四日龍ノ口御屋敷被遊 御立寄同日直ニ龍ノ口御屋
敷被遊 御発駕同年六月十七日御國許被遊 御着座御道中
筋御用人之諸勤無懈怠相勤罷下申候文政三年八月九日御用有之
御花畑江罷出申候處今度日光 御拝禮夫より直ニ御下國之御共
被 仰付数日之御道中殊ニ川々満水ニ付而其格別致心配候付
九曜御紋附縮緬単御羽織一 同御紋附御帷子一 被下置旨御用番
被申渡候文政三年十二月二十八日於御次兼々出精相勤候ニ付御内々ヨリ
二桐御紋附羽二重御袷一被下置候 文政四年正月二十日當春出府被
仰付財津善内与交代被 仰付旨御奉行所より御達有之同年三月
九日御國許被指立同年四月朔日江戸着御用人之諸勤積相勤申候
同年十二月十一日於御次兼々出精相勤候付葉桜御紋附御小袖一被下
置候 文政四年十二月十一日 篤姫様御縁組御用懸被 仰付旨於御
家老間織部殿被申渡候文政五年正月十一日龍口於御殿 篤姫様
御殿の帰国のお供を仰せ付けられる。
文政3年4月25日御殿は江戸を出発なされ祢(みたまや)の御社をお参する。
同年5月4日龍ノ口屋敷にお立寄りなされ、同日直ちに龍ノ口の屋敷を出発された。
同年6月17日熊本にお着きあそばれた。道中で用人の諸々の勤務について懈怠(けたい=間違い)なく勤め申し上げた。
文政3年8月9日ご用があるということで、花畑の屋敷へ罷り出たところ、この度日光拝禮の担当から直接熊本に帰られる御殿のお供を仰せ付けられた。
数日の道中ことに川々が洪水になった折、その格別な心配りをしたので、九曜の紋附縮緬単羽織一 同紋附帷子一 を下される旨用番が申し渡された。
文政3年12月28日次の間に於いて兼々仕事に精を出し、勤めたので内々より二桐紋付羽二重袷一を戴いた。
文政4年正月20日この春江戸へ行くことを仰せ付けられ、財津善内との交代を仰せ付けられる旨、奉行所よりこのお達しがあった。
同年3月9日熊本を差し立たれ、同年4月1日江戸へ到着。用人の職務を勤めた。
同年12月11日次の間にて兼々仕事に励んだので葉桜紋附小袖一 を戴いた。
文政4年12月11日篤姫様の縁組のご用がかりを仰せ付けられる旨を家老の間で織部殿が申し渡された。
文政5年正月11日龍ノ口の御殿で、篤姫様の縁組
くずし字解読
左の二つのくずし字は画像の2行目に出てくる「龍ノ口御屋敷」と「龍ノ口御屋」であるが、文中に同じ字が出てくると、大変解りやすい。
問題は「龍」の字だが、よく見ると少し違っている部分がある。これは「ノ」の書く場所が異なっていることによる。左の方の「ノ」は普通に書かれているが、右の方の「ノ」は紙面のスペースが少ないことによって、何と「龍」の字の中に書かれている。これは極めてまれなことだとは思うが、こういう事がありうることを一応頭の中に留めておくのもよいと思う。