上様から拝領の品々

一口メモ

高見家文書には、九代武久による「在勤拝領の品附」一巻(文書番号#3012)、「秋雲院様顕光院様御拝領物之控」一巻(同#3013)及び十代嶋之介による「上々様方より拝領の御品附」一巻(同#3011)が残されているが、いずれも大切な品々で大事に扱っていたことが偲ばれる。

系図にも記録が残されているが、賜りものはそれぞれ拝領の理由があり、その一例を挙げてみよう。
二代弟の少五郎重治は島原一揆で手柄をあげご褒美として黄金一枚、紋付5具をいただいている。
また、五代の権右衛門政武は、隠居の折に紋付羽織を頂戴した。

更に、八代は少将様(熊本藩八代斉茲公)が辞任され、若殿様(熊本藩九代斉樹公)のお目見(徳川将軍に直接拝謁すること)や元服と婚禮のお祝いの用を勤めたということで、紋附裃と小袖を拝領した。

九代の高見數衛政久は、就任5年目の22歳にして犬追物の競技で優秀な成績を修めたということで、初めて紋附・上下を拝領している。

その3年後には、お城の御禮(諸作法)の用を勤めたとして紋附・上下と帷子を拝領された。

また、29歳の正月に初めて江戸詰めの用人として出府したが、その年末には内々に紋附横麻の上下を頂いている。

その後は、ことあるごとに賜物を頂戴しているが、この理由は本人が仕事に励んでいたこともあろうが、諦了院様(熊本藩八代細川斉茲公)はご長命で、高見家の八代・九代がそろって仕えたこともあり、また諦了院様も思いがけず環境が急変した年に、高見家八代が家督を相続し、その3年後にはお仕えしており、年齢も13歳しか離れておらず、何かと話が合ったのかもしれない。九代も13歳の時に御目見を済ませている。

その後の拝領品については、改めて紹介してゆきたい。