初代 和田勝五郎重治(1)

熊本大学付属図書館所蔵 高見家文書 #1001

羽柴大納言秀長公尓仕居申候へと丹後宮津ニて

忠興公秀長公江御所望ニて被召出御知行二百石被下置慶長五

年八月二十二日濃州岐阜武藤津府羅の方ニて合戦ニ功有九月十五

六日關ケ原御陣御供仕相應之働仕7ケ所手を負申候去武藤

津府羅まて被遊 御登候節従

羽柴大納言秀長公に仕居申し候へど丹後宮津にて

細川)忠興公秀長公え御所望にて召し出され御知行200石下し置かれ慶長5

年(1600年)8月22日濃州岐阜武藤津府羅の方にて合戦に功あり9月15

6日の関ヶ原御陣お供仕り相応の働き仕り7カ所手を負い申し候武藤を去り

津府羅までお登り遊ばされ候節従

一口メモ

いよいよ変体漢文の登場です。文章は句読点が全くありません。仮名文字が多用されているので読みやすいが、常用句として「被」「御知行」「申候」「仕り」「被遊 御登」「候節」「従」などが出てきているがこれらはすぐ慣れるので心配はない。 また、文章の中に空白を開けたり、改行したりしてあるが、これは闕字(けつじ)と言って貴人への敬意を表すために、人名や動詞の前に施されている。ここでは、「遊 御登」と「従 改行して 三斎様」がその例である。