姻戚の形成について
当家の系図は横系図と呼ばれる手法で、上の世代(尊属)が右に、下の世代(卑属)が左に、同代の兄弟が横に書かれて直線で繋がっている。当代の配偶者は嫡子の場合は嫁の名前とその実家が、養子の場合は本人の名前とその兄弟が当代の右に書かれている。
実子か養子かについては、興味があるところだが、嫡子は二代、六代、十一代とわずかに3世代である。三代と四代はいずれも実子か養子かわかっていない。また、養子の中でも、身内が養子になっているケースもある。七代は病気のため、28歳で隠居したが、その後釜の八代は六代の実子である。また、十一代は24歳にして相続したが、病気のためわずか1年で隠居、十二代は十一代の弟であるが、その養子となって相続を果たしている。
五代は伊関家より、七代は堀家より、八代は郡家より、十代は志方家よりと、それぞれ立派な家々との結びつきが実現されている。
二代とその弟は、幼少で初代を亡くしたために道家帯刀一成家のお世話になった。二代の弟は帯刀公の娘を嫁として迎え、妹は道家治右衛門の妻となっている。
また、特筆すべきことに二代の妻真如院は、系図ではいずこから来られたか不明であると記載されているが、眞藤國雄先生の調査で細川忠利公の側室で長女藤姫(松平忠弘公夫人)の生母であることが判明した。
このように姻戚関係は時を経るに従って、新たな事実が発見されてゆくことが大いに期待されるところである。