系図のエピソード
この大事な系図についてのエピソードが残されている。ある日、父親が血相を変えて系図を持ってきて、何とか元どおりにならぬものかと、相談を持ちかけてきた。よく見ると、母親の筆跡で母親自らの経歴が数行に渡って書かれてあるではないか。しかもペン書きで… この系図は厚手の和紙でできており、水を含ませ削ぎ取りなんとか事なきを得たが、ここで両親について若干触れておこう。
とんでも無いことをしでかした母親は、いわゆる大正ロマンの申し子で、幼い頃からピアノを習い、女学生時代にはラジオに出演する程の腕前になり、後々これが我が家の困窮を救うことになった。
茅ヶ崎の「ふだん記」という自分史グループに投稿し、「るり色の鳥」と言う自叙伝を出版したが、これは小生や家族の若き時代を顧り見るのに大いに役立っている。
晩年は大きなスケッチブックに毎日絵日記を書いていたほど、文字を書くのが好きな人で確かに綺麗な文字を書いていた。
一方父親といえば、士農工商の時代をきらい、高等学校を中退してまでも、ソビエト社会主義に傾倒したような正義感の強い人物で、新聞記者から港湾経済学の道に進んだ。小生が小学校低学年の時代に、父親が何やら書類を天井裏に隠して慌てていた様子が思い出されるが、これはいわゆるレッドパージに遭う事を恐れた行動であったことが後ほど理解できた。
私生活面では、PTAに積極的に参加したり、山岳クラブを立ち上げ、丹沢山塊を歩き回っていたり、とにかく社会生活面では活発な行動をとってきた。
今際の折に長兄に語ったと言われる言葉は、「虎は死して皮を残す。おれは死して本を残す」ということであったが、周囲は「死して借金を残す」が的を得ていると言っていた。本人の名誉のため、出版物「港の世界史」と「渤海紀行」を紹介しておく。