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4.二代 高見権右衛門重政

系 図(原文) 系 図(写真)

 

二代 高見権右衛門重政 初代和田勝五郎 実子

妻 真如院 寛文2年(1662年)2月3日没 高麗門妙立寺葬

どこの家よりおいでなされたかは不明。

注)真女院は松平忠弘公夫人藤姫(細川忠利公長女)の生母で、後に高見権右衛門に嫁いだ。

  嫡男 高見権之助

元和4年(1618年) 細川忠興公より知行100石を拝領

知行宛行状・御知行取附目録(元和四年六月 日忠興公花押)

忠興公の隠居により、妙解院様(細川忠利公)のお側に仕える。

寛永3年(1626年)4月知行100石を加増し、側物頭となる。

知行宛行状(寛永3年4月晦日 忠利公花押)

寛永7年(1630年)御知行150石を御加増(都合350石)。

知行宛行状(寛永7年正月20日 忠利公花押)

肥前一揆(島原の乱)の蜂起の時に、妙解院様(細川忠利公)の御供を勤めた。

寛永20年(1643年)2月阿部権兵衛兄弟を討ち果たすべきことを仰せつけられ相勤める。

光尚君御家譜抜書(阿部権兵衛兄弟関連覚書)

真源院様(細川光尚公)御代の寛永21年7月に御知行300石を御加増

知行宛行状(寛永21年7月20日 光尚公花押

妙解院様(細川忠利公)真源院様(細川光尚公)の御両代に江戸城に御供をされた。

妙應院様(細川綱利公)の御代に御使番の触使(お触れの使い)を仰せつけられる。その後小姓頭を仰せつけられる。

江戸へも度々御供を相勤める

明歴2年(1656年)10月4日病死

法名 理性院道慶 高麗門妙立寺葬

 

権右衛門弟

高見少五郎重治 同姓高見次左衛門家に養子

    父 高見権右衛門重治

    妻 道家帯刀の娘

慶長17年(1612年)豊前の国小倉にて誕生。

寛永3年(1626年)4月7日忠利公に召し出され御知行百石下され、そのとき御年は15才であった。

同9年(1632年)の冬御国替えにお供をする。同14、5年に有馬御陣のお供をされた。御年26、7才。同年8月1日御褒美等を下され黄金1枚御紋付御品5つ下さる。

その後御鉄炮の添頭又、二十挺頭に仰せつけられる。御加増五十石下され都合二百石を仰せつけられる。

延宝五年(1677年)6月11日病死。法名は不明。 延壽寺葬。

権右衛門妹

女子 道家次右衛門 妻

女子 宇野弥右衛門 妻

女子 上田此等也 妻

注:

二代高見権右衛門重政については、三百藩家臣人名辞典(松本寿三郎/日比谷図書館蔵)や森鴎外の小説「阿部一族」にも登場し、その功績の知名度は高い。

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はじめに

2 高見家関連年表
3 本国及び初代和田勝五郎重治(後高見権右衛門重治) 4 二代高見権右衛門重政
5 三代高見権之助 6 四代高見三右衛門
7 五代高見権右衛門政武 8 六代高見権右衛門
9 七代高見権之助政朱 10 八代高見右源太政信
11 九代高見數衛政久(後権右衛門武久) 12
13 十一代高見熊之助(後嶋之助) 14