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9.七代 高見権之助政朱

養子 堀五左衛門家より入籍

堀家兄弟について俗名、法名並びに年齢順は次の通り

掘次郎左衛門 法号 真了院

大木弥七兵衛 法号 総持院

仲光順蔵 法号 理山院

権之助様(七代)

慶助 法号 帰雲院

流み(るみ) 法号 專修院 長尾安右衛門の妻となる

七代 高見権之助政朱  

妻は権右衛門の嫡女である甚深院 天明8年(1788年)12月27日没 高麗門妙立寺葬

 

安永5年(1776年)3月権右衛門の跡目を継ぎ知行相違なく拝領なされ、番方を勤める。

知行引渡差紙

天明2年(1782年)見習いとして出府を仰せ付けられる。

翌3年(1783年)江戸へ着。同4年(1784年)正月より病気を患う

同年6月11日御用があり参上すべしとのお達しがあったが、病中であったためまかり出ることができなかった。

その後同年8月20日役職を離れるように言われ、その後病気に勝つことができず、同7年(1787年)正月、ご奉公を辞し隠居の身となった。

 寛政元年(1789年)10月12日病死される。

 法名 一侍院 高麗門妙立寺葬 享年28歳。

妹(次女) 淋霜消夢 母小嶋の家より嫁す。後離別

宝暦9年(1759年)10月23日没 妙立寺葬

妹(三女) 甚深院 権之助の妻で、実母は 貞松院

妹(四女) 清凉院 右源太妻 母 同上

   天明7年(1787年)8月9日没  高麗門妙立寺葬


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はじめに

2 高見家関連年表
3 本国及び初代和田勝五郎重治(後高見権右衛門重治) 4 二代高見権右衛門重政
5 三代高見権之助 6 四代高見三右衛門
7 五代高見権右衛門政武 8 六代高見権右衛門
9 七代高見権之助政朱 10 八代高見右源太政信
11 九代高見數衛政久(後権右衛門武久) 12
13 十一代高見熊之助(後嶋之助) 14